北堀江
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河川
歴史
現在南堀江との境界となっている北堀江通(大阪市道玉造西九条線)と南堀江通(大阪市道南堀江通線)の間にはかつて堀江川が流れており、もとの境界は堀江川だった。
北堀江の町名は1698年(元禄11年)の堀江川の開削および堀江新地の開発の際に成立したが、もとの町域は堀江新地のうち堀江川の北岸のみで、それより北側は御池通という町名だった。御池通の町名は明治初期に北堀江上通・北堀江裏通・北堀江下通と改称されて消滅するが、明治末期に北堀江下通が北堀江御池通と改称されて昭和後期まで残存した(北堀江裏通は大正後期に北堀江上通に統合されて消滅)。
長堀川(埋立。現:長堀通)の下流一帯では、下船場側にもまたがって土佐藩が広大な蔵屋敷を構え、材木問屋をはじめ土佐の物産を扱う町が形成され、土佐藩の影響が色濃いこのエリアを西長堀と称した。
90年代前半頃までは大阪市内でも繁華街などから外れた地域であり古い商店街や雑居ビルなどで点在する錆びれた街であったが、90年代半ば頃に音楽制作会社のビーイングの創業者である長戸大幸によって堀江一帯の不動産が大量に取得され、無名デザイナーなどによる新しいブランドショップ、カフェ、レストラン、サロンなどが次々にオープン、またお洒落な高級賃貸マンション、タワーマンションなどが多数建築されたことにより若者の入居が増えていった。同時期にビーイングの大阪本部としてメジャーレーベルのレコード会社GIZA studioが起業され、ライブハウスなどの施設もオープンするなど瞬く間に若者の街へと変貌し、人口増加と共に数々の企業が事務所を構えるなど現在の資産価値ある土地へと変わった。
2024年(令和6年)9月12日、北堀江四丁目の長堀抽水所内で可燃性のガスが爆発[5]。市役所職員ら4人が負傷したほか、近隣マンションの窓などの破損、車両の破損等24件の被害が生じた[6]。
世帯数と人口
2021年(令和3年)3月31日現在の世帯数と人口は以下の通りである[7]。
| 丁目 | 世帯数 | 人口 |
|---|---|---|
| 北堀江一丁目 | 1,409世帯 | 2,136人 |
| 北堀江二丁目 | 1,404世帯 | 2,092人 |
| 北堀江三丁目 | 1,269世帯 | 2,241人 |
| 北堀江四丁目 | 1,831世帯 | 3,336人 |
| 計 | 5,920世帯 | 9,805人 |
人口の変遷
国勢調査による人口の推移。
| 1995年(平成7年) | 6,558人 | [8] | |
| 2000年(平成12年) | 7,037人 | [9] | |
| 2005年(平成17年) | 7,649人 | [10] | |
| 2010年(平成22年) | 8,727人 | [11] | |
| 2015年(平成27年) | 9,947人 | [12] |
世帯数の変遷
国勢調査による世帯数の推移。
| 1995年(平成7年) | 2,996世帯 | [8] | |
| 2000年(平成12年) | 3,434世帯 | [9] | |
| 2005年(平成17年) | 4,630世帯 | [10] | |
| 2010年(平成22年) | 5,095世帯 | [11] | |
| 2015年(平成27年) | 5,967世帯 | [12] |