楢崎政友 From Wikipedia, the free encyclopedia 時代 戦国時代 - 江戸時代生誕 不詳死没 不詳別名 通称:清吉→五郎左衛門 凡例楢崎政友時代 戦国時代 - 江戸時代生誕 不詳死没 不詳別名 通称:清吉→五郎左衛門主君 毛利輝元氏族 湯原姓楢崎氏父母 父:楢崎景政兄弟 政忠、政友テンプレートを表示 楢崎 政友(ならさき まさとも)は、戦国時代から江戸時代にかけての武将。楢崎氏は備後国芦田郡久佐[注釈 1]の朝山二子城(楢崎城)を本拠とした国人で、毛利氏の家臣となる。 備後国芦田郡久佐[注釈 1]を本拠とした国人である楢崎豊景の次男・楢崎景政の次男として生まれ、毛利輝元に仕えた。 慶長2年(1597年)から始まる慶長の役において、政友は従兄弟の元兼(伯父・信景の嫡男)や元好(叔父・景好の長男)らと共に毛利秀元に従って朝鮮に渡った。元兼は嗣子のいないまま同年9月18日に朝鮮で病死し、従兄弟の元好が後を継いだ。また、政友の兄である政忠も朝鮮で戦死したため、政友が父・景政の後継となった。 政友は、慶長2年(1597年)12月22日から慶長3年(1598年)1月4日にかけて行われた第一次蔚山城の戦いにおいて功を挙げた。これにより、第一次蔚山城の戦いで功のあった毛利氏家臣を賞した、慶長3年(1598年)1月25日付の豊臣秀吉の朱印状に政友の名(楢崎清吉)も記されている[注釈 2][1]。 後に暇を下されて牢人となり、長門国豊浦郡の赤間関に住した。没年は不詳。 脚注 注釈 1 2 現在の広島県府中市久佐町。 ↑ この朱印状において名前を記されていたのは記載順に、宍戸元続、浅口元通(細川元通)、吉見広長、三沢為虎、三吉元高、天野元信、日野元重、内藤元盛、三田元盛、和智元盛、平賀元相、三尾元尚(井原元尚)、三刀屋孝和、口羽元良、成羽親成(三村親成)、桂元武、野山朝経、石蟹市郎、伊達三左衛門尉、赤木元重、周布長次、市川元好、吉田元重、馬屋原弥右衛門尉、楢崎政友、福頼元秀、有地元盛[1]。 出典 1 2 『毛利家文書』第914号、慶長3年(1598年)比定1月25日付け、豊臣秀吉朱印状。 参考文献 岡部忠夫編著『萩藩諸家系譜』琵琶書房、1983年8月。ASIN B000J785PQ。 NCID BN01905560。全国書誌番号:84027305。 国立国会図書館デジタルコレクション 山口県文書館編『萩藩閥閲録』巻52「楢崎与兵衛」 Related Articles