岐阜県中津川市出身。名古屋鉄道教習所卒業[1]。国鉄労働組合名古屋地方本部執行委員長、全日本交通運輸労組中部地方協議会議長などを歴任し、1952年10月の衆議院議員選挙に左派社会党から出馬し初当選。社会主義協会系の三月会に所属(当選12回)。
1955年10月に左右に分裂していた日本社会党が統一され、1970年成田知巳委員長の下で党国会対策委員長に就任。1975年国対委員長を退任(後任は平林剛)。1983年の総選挙には立候補せず、引退。地盤を山下八洲夫に譲った。1984年、勲一等旭日大綬章受章[1]。
1989年9月11日、死去。76歳没。同月19日、特旨を以て位記を追賜され、死没日付で正三位に叙された[2]。