榎本城 From Wikipedia, the free encyclopedia 城郭構造 平城築城主 小山宗長[1]築城年 文治元年(1185年)[1]主な城主 榎本氏、北条氏照、結城氏、本多忠純logo榎本城(栃木県) 榎本城跡城郭構造 平城築城主 小山宗長[1]築城年 文治元年(1185年)[1]主な城主 榎本氏、北条氏照、結城氏、本多忠純廃城年 寛永17年(1640年)遺構 土塁、空堀、櫓跡[2]位置 北緯36度19分39秒 東経139度43分36秒 / 北緯36.32750度 東経139.72667度 / 36.32750; 139.72667座標: 北緯36度19分39秒 東経139度43分36秒 / 北緯36.32750度 東経139.72667度 / 36.32750; 139.72667地図 榎本城 テンプレートを表示 榎本城(えのもとじょう)は、栃木市大平町榎本(下野国都賀郡榎本)にあった日本の城。 榎本城のあった場所には石碑が建っている。また堀や土塁のあとが周辺に残っている。 歴史 文治元年(1185年)に小山宗長が築城したといわれ[3]、小山城の支城として成立したと思われる。 戦国時代の永禄元年(1558年)に榎本高綱が城主となったが、同7年(1564年)に皆川俊宗に攻められて戦死しするなど、皆川氏、佐野氏、北条氏、結城氏らの接点として、いくたびか戦乱に巻き込まれた[2]。 1590年(天正18年)の豊臣秀吉による小田原征伐の折、榎本城主の近藤綱秀は北条氏照の命で八王子城を守っていたが討死した。榎本城は、城主が留守の間に結城晴朝に攻められ落城し、以降結城氏の管理下に入った。 江戸幕府成立後の1605年(慶長10年)、本多忠純が1万石で榎本城に入り榎本藩が成立する。その後大坂夏の陣での活躍などにより加増され2万8000石となった。本多忠純の死去後、藩主は本多政遂、本多犬千代と継いだが、犬千代は寛永17年(1640年)5月13日に5歳で死去し、榎本藩は無嗣断絶により改易となり、榎本城も廃城となった。 脚注 1 2 1558年(永禄元年)に榎本高綱が築城との説あり 1 2 児玉幸多 監修、坪井清足 監修、平井聖 編修、村井益男 編修、村田修三 編修、峰岸純夫、菊池卓『日本城郭大系 第四巻 茨城 栃木 群馬』新人物往来社、1979年、271頁。ISBN 4404010117。 ↑ 「栃木の城」下野新聞社、1975年4月20日、266ページ 関連項目 日本の城一覧 この項目は、日本の歴史に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:日本/P:歴史/P:歴史学/PJ日本史)。表示編集 Related Articles