権現山城

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別名 狩野川之城?
城郭構造 平山城
天守構造 なし
築城主 上田政盛
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権現山城
神奈川県
別名 狩野川之城?
城郭構造 平山城
天守構造 なし
築城主 上田政盛
築城年 不明
主な城主 上田政盛
廃城年 不明
遺構 消滅か
指定文化財 未指定
位置 北緯35度28分18.6秒 東経139度37分42.4秒 / 北緯35.471833度 東経139.628444度 / 35.471833; 139.628444座標: 北緯35度28分18.6秒 東経139度37分42.4秒 / 北緯35.471833度 東経139.628444度 / 35.471833; 139.628444
権現山城の位置(神奈川県内)
権現山城
権現山城
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権現山城(ごんげんやまじょう)は、神奈川県横浜市神奈川区幸ケ谷にあった日本の城

『神奈川権現山 外國人遊覧』(歌川芳員)

現在の幸ヶ谷小学校・幼稚園のある地点は[1]、かつては権現山と呼ばれ、本覚寺のある西側の高島台と尾根伝いに繋がる急峻な山であった。なお本覚寺のある高島台には青木城があった[2]

1510年永正7年)、当時関東を支配していた扇谷上杉氏の家臣上田政盛は、伊勢盛時に味方して謀反を起こし、山上に砦を築き立て籠った[3]。これに対し、扇谷上杉氏の上杉朝良山内上杉氏上杉憲房は権現山城を包囲して、援軍に駆けつけた伊勢軍を撃破した(権現山の戦い)[4]。戦いは上杉方の勝利に終わったが、その後、上杉氏の力が弱まり伊勢氏、さらに後裔の後北条氏による関東支配が始まった。

南北朝時代史料に登場する「狩野川之城」は、この城の前身とみなされている[1]

山上には醍醐三宝院勝覚僧正が、1087年寛治元年)に分祀した熊野権現が祀られていたが、1712年正徳2年)6月に山上が崩壊し、熊野権現は金蔵院の境内に移っている[5]

城跡

幸ヶ谷公園の頂上から、権現山がそびえていたと考えられる幸ヶ谷小学校方向を見る。
旧権現山(幸ケ谷公園)と神奈川駅青木橋から望む)

権現山は、幕末神奈川台場建設のための土取り場となり山頂が削られた。さらに明治時代には後の東海道線となる日本初の鉄道の建設により開削されたことで、地形はかつてと大幅に変わっている。現在の横浜市の埋蔵文化財包蔵地地図上では、城跡は「破壊」されたと見なされている[6]。現在は幸ヶ谷小学校の西に残された高台が幸ヶ谷公園となり、権現山城跡との表示がある。

外部リンク(横浜開港資料館):権現山から北東側を見下ろした幕末の写真

脚注

参考文献

関連項目

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