横山保 (経済学者)
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神奈川県生まれ[1]。鹿児島県立第二鹿児島中学校 (旧制)を卒業[6]。第七高等学校造士館 (旧制)理科甲類に1940年4月入学、1942年9月卒業[1]。東京帝国大学理学部数学科に1942年10月入学、1945年9月卒業[1]。1946年2月1日に関東学院中学部講師嘱託となり、6月1日に関東学院工業専門学校講師に転任、12月1日に同校教授に昇任し1949年3月31日まで務める[1]。1949年度は新制静岡県立富士高等学校に教諭として勤務[1]。
古谷弘の影響で、経済学の道に入る。関西の若手研究者によって発刊されていた『近代経済理論研究』(森嶋通夫や置塩信雄らが寄稿)に経済体系の安定条件についての論文に載せ、経済学研究の発表を始める。[5]
1950年3月に静岡県立富士高校を退職して大阪大学一般教養部北校に勤務。翌年、大阪大学法経学部に配置換え(1953年に法学部と分離して大阪大学経済学部となる)[1]。1951年4月15日から1957年3月31日までは神戸大学助教授を、1952年9月11日から1953年3月31日は広島大学助教授を併任[1]。1957年10月16日、大阪大学経済学部教授に昇任[1]。教授職の間、1969年7月には大阪大学経済学部長[7]兼経済学研究科主任に、1972年4月には大阪大学情報処理教育センターに就任したほか、大阪大学評議員も数回歴任[1]。1975年度から1979年度は富山大学教授も併任[1]。
経営システム論[2]や消費者の選択についての基礎理論[5]を研究した。
1983年8月1日、富山大学高岡短期大学創設準備室長に併任[3]。同年10月1日に高岡短期大学が開学して初代学長に就任し、1992年3月31日までの任期を務める[3]。同年4月29日、勲二等瑞宝章 [3]。
学会および公的活動
脚注
- 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 大阪大学経済学部『大阪大学経済学 第32巻2・3合併号(横山保博士還暦記念論文集)』1-2頁
- 1 2 3 4 朝日新聞1996年8月1日朝刊21頁
- 1 2 3 4 『高岡短期大学閉学記念誌第2部』77,80頁
- ↑ 横山保『需要理論の研究』 大阪大学〈経済学博士 報告番号不明〉、1959年。NAID 500000480290。https://id.ndl.go.jp/bib/000010555851。
- 1 2 3 西淳「横山保の経済学と人間観」『阪南論集. 社会科学編』第40巻第2号、2005年3月、83-97頁、CRID 1050001338870535680、NAID 120005371399。
- ↑ 七高史研究会『七高造士館で学んだ人々 改訂版』(2001年、国立国会図書館蔵)
- ↑ 竹岡敬温, 菅真城, 阿部武司「竹岡敬温名誉教授に聞く : 大阪大学の思い出」『大阪大学経済学』第61巻第1号、大阪大学経済学会、2011年6月、162-176頁、doi:10.18910/51776、ISSN 04734548、NAID 120005619879。
富山大学学長(高岡短期大学長:1983年 - 1992年) | |
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