横溝春雄
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埼玉県大宮市でパン屋を営む家庭の次男として誕生し、早朝から夜遅い時間まで懸命に働く両親の姿を見て育つ[1]。「パン屋は大変だからお菓子屋におなり」という母の言葉もあり、自分は幼い頃からお菓子屋になると考えていたという[1]。兄が一人、弟が二人の4人兄弟で、兄が実家を継ぎ、弟二人も菓子職人の道を歩んでいる[3]。
1966年、東京・神田小川町の洋菓子店 ″エス・ワイル″(S.Weil)に入社し5年半勤務した後、店主の勧めで1971年、23歳の時にヨーロッパへ渡り[4]、西ベルリン、チューリッヒ、ジュネーブ等で修業し、ウィーンの皇室御用達とも云われる[5]菓子店 ″デメル″ に入社し、2年半勤務した後に帰国する。
1977年より、新宿中村屋 ″グロリエッテ″ のシェフを11年務めた後、同店で一緒に働いていた女性と結婚。暫く経った後に神奈川県川崎市麻生区近くに移り住む[4]。40歳を迎えた1988年に独立し、ウィーン菓子工房 ″リリエンベルグ″(ドイツ語で″百合の丘″を意味する)を新百合ヶ丘にオープンさせる[6]。開店当初のスタッフは、横溝と妻を含めた4人のみで目の回るような忙しさだったが、商品のパッケージや内装のデザインなどは全て妻がアイデアを出し、仕上げていったという[7]。店の基本理念は「見た目の仕上げに懲りすぎず、流行にとらわれない、素直に美味しいと感じて頂ける心和むような温かみのあるお菓子を作りたい」というもの[8]。横溝は「店を開いたときから目指しているのは、見た目のかっこ良さとかじゃなくて、訪れてくれたお客さまが食べて心があったまるようなお菓子。たとえ、形がくずれたりしていても、食べて後悔しない味が理想かな」と語っている[7]。
2025年8月21日、横溝が同年6月下旬に急逝したことがリリエンベルグのサイトにて公表された[9]。その後は、横溝の息子である横溝亮太が二代目シェフとして店を継ぐ運びとなった[10]。