橋本舞孔
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元々は野球少年で、親が熱心なのもあり、日大豊山中学校で、副キャプテンでレギュラーとして、文部科学大臣杯第10回記念全日本少年春季軟式野球大会に出場。中学3年生の秋頃に野球を辞めて、「ボクシングをやりたい。」と親に話すと、「ちゃんとした指導者の元で習った方がいい。」と教育熱心な父親が東京都アマチュアボクシング連盟に連絡。当時、理事だった吉沼茂に「大泉学園ボクシングジムの中澤弘樹会長に教えてもらうといい。」と言われ、家から自転車で1時間かけて、朝霞から大泉学園に通った。中澤弘樹は、他のジムの選手のパーソナルを請け負っており、そこにいた光富元(後の2025年新人王、当時はアマチュアで新日本木村ジム。現在は六島ジム。)に憧れる。一度は受験でボクシングを辞めるも、高校1年生の冬にまた同ジムに戻り、中澤弘樹会長の元で修行を積む。本来オーソドックスであったが、中澤会長に「サウスポーの方が才能がある。」とオーソドックスからサウスポーに切り替えた。パーソナルで来ていた光富とはスパーリングを繰り返し、毎回やられていた橋本はその悔しさをバネに練習を重ねた。初めて出場したスパーリング大会では、後にプロボクサーになる倉持廉粏(本望ジム)にKOされ苦い思いをする。2年後憧れの光富がいる新日本木村ボクシングジムに移り高校3年時にプロデビューを果たした。[2]。菊池音央(現在志成ジム)も当時新日本木村ジムで、菊池と光富と仲良く練習できた時間を後に橋本は「とても貴重な時間だった」と語っている。現在も3人の交友関係は続いており、橋本は中澤弘樹のパーソナルを引き続き受けている。
2022年12月9日のプロデビュー戦は3回TKO勝ち[3]。。
翌2023年7月28日、東日本新人王スーパーフェザー級準々決勝にて下村佳輝相手に4回TKO負けを喫してプロ初黒星を喫した[4]。
2025年6月1日、デビューから所属していた新日本木村ジムからDANGANジムへ移籍。
その後2026年1月13日、後楽園ホールで開催の『第148回フェニックスバトル』にてA級初戦として日本ライト級ユース王者岩本星弥と日本ユースライト級タイトルマッチを行い、8回3-0(77-75×3)判定勝ちで日本ユース王座獲得[5]。
2026年1月31日、日本ボクシングコミッションは2026年1月のランキングを発表し、日本ユース王座を獲得した橋本をライト級10位にランクインした。
戦績
- プロ戦績10戦7勝(3KO)1敗2分
| 戦 | 日付 | 勝敗 | 時間 | 内容 | 対戦相手 | 国籍 | 備考 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1 | 2022年12月9日 | ☆ | 3R 1:52 | TKO | 竹内拓馬(レイS) | プロデビュー戦 | |
| 2 | 2023年3月16日 | ☆ | 4R | 判定3-0 | 下坂一樹(DANGAN越谷) | ||
| 3 | 2023年6月9日 | ☆ | 4R | 判定3-0 | 渋谷和磨(ジャパンS) | 2023年度東日本スーパーフェザー級新人王予選 | |
| 4 | 2023年7月28日 | ★ | 4R 1:41 | TKO | 下村佳輝(三迫) | 2023年度東日本スーパーフェザー級新人王準々決勝 | |
| 5 | 2024年2月2日 | △ | 4R | 判定1-0 | 梶野翔太(角海老宝石) | ||
| 6 | 2024年7月31日 | ☆ | 3R 2:23 | TKO | 舒世昌 | ||
| 7 | 2024年12月20日 | ☆ | 6R | 判定3-0 | 陳帥 | ||
| 8 | 2025年3月29日 | △ | 6R | 判定0-0 | 池上いつ己(八王子中屋) | ||
| 9 | 2025年9月5日 | ☆ | 4R 1:52 | TKO | チャックリット・ラーチャコット | ||
| 10 | 2026年1月13日 | ☆ | 8R | 判定3-0 | 岩本星弥(JB SPORTS) | 日本ユースライト級タイトルマッチ | |
| テンプレート | |||||||
獲得タイトル
- 第5代日本ライト級ユース王座(防衛0)