橋爪捨三郎 From Wikipedia, the free encyclopedia 橋爪 捨三郎(はしづめ すてさぶろう、1867年11月29日(慶応3年11月4日)- 1930年(昭和5年)9月15日)は、日本の実業家である[1][2]。 陸奥国会津郡若松城郭内(現会津若松市)で、会津藩士・橋爪清助の三男として生まれる[1][2][3]。帝国大学(現在の東京大学)法科大学政治学科を卒業後[1][2][3]、三井物産に入社しその後転々と多くの企業に転勤する[2]。後に上海紡績に転勤するが[1][2]、同会社の合併により鐘淵紡績(後のカネボウ、現在のクラシエホールディングス)に移った[1][2]。 これにより同会社の副支配人を経て支配人としての職にあたり[2]、1918年(大正7年)に取締役として就任した[2]。1927年(昭和2年)には常務取締役に昇格し[1][2]、同年副社長に就任する[1][2]。副社長就任後は鐘淵紡績の経営回復に携わり[2]、1930年の死去までその職にあたった。 東京府北多摩郡戸塚町諏訪中通(のちの東京都新宿区諏訪町)で死去した[3]。 脚注 1 2 3 4 5 6 7 “橋爪捨三郎”. デジタル版 日本人名大辞典+Plus(講談社)株式会社DIGITALIO. 2023年2月18日閲覧。 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 “橋爪 捨三郎”. 20世紀日本人名事典(日外アソシエーツ)株式会社DIGITALIO. 2023年2月18日閲覧。 1 2 3 『福島県史 第22巻』401頁。 参考文献 『福島県史 第22巻 (各論編 8 人物)』福島県、1972年。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。表示編集 Related Articles