和泉国堺の貿易商人で、天文12年(1543年)の種子島鉄砲伝来について記された『鉄炮記』にその名が見られる。それによれば、又三郎はたまたまそのころに種子島を訪問していたため、種子島氏と鍛冶の八板金兵衛より火縄銃の射撃法・製造法を習得して帰国し、やがて堺でその生産・販売を始めた。以後畿内一帯に火縄銃は広まり、堺は火縄銃の一大生産地、又三郎自身はその大家として「鉄砲又」と称されたという。なお種子島由来の鉄砲普及には紀伊国根来寺の津田氏が関わったともされるが、津田氏は橘氏を称したことから、橘屋との関連が指摘される。
天正3年(1575年)製の紀三井寺の梵鐘に「那賀郡堺鋳工橘屋又三郎」の銘文が伝わる[注 1]。