橘経国

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橘 経国(たちばな の つねくに、生没年不詳)は、平安時代中期の貴族大納言橘好古の孫で、右中弁・橘為政の子とする系図がある。官位は四位・尾張守

一条朝長保元年(999年)経国が国守を務めていた丹波国に向けて蔵人所小舎人上友延が派遣を命ぜられるが、友延は下向せずに京にある経国の邸宅に行って経国の妻子を責めるという事件を起こしている。寛弘8年(1011年)宇治使次官に任ぜられるが、次官の経国が四位で長官の多米国隆が五位であったため、大納言・藤原実資によって選任のやりなおしが命ぜられている。

三条朝長和年間に尾張守を務めたのち、後一条朝初頭の寛仁元年(1017年)5月24日に病気を理由に出家した。

逸話

経国に関する逸話が『今昔物語集』にある。

経国が伯耆守であった時に、ひどい凶作で食べ物がなくなった年があり、乾飯を盗もうとして国府のそばの蔵に侵入するも、乾飯はなく脱出もできなくなっていた盗人が蔵の中から助け出された。人々は大した罪ではないため速やかに追放するように言ったが、経国は後々の聞こえもあることを理由に盗人をに処した。これに対して、自ら進んで罪を白状したのに残念なことだ、と人々は非難したという[1]

官歴

系譜

脚注

参考文献

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