橘経国 From Wikipedia, the free encyclopedia 橘 経国(たちばな の つねくに、生没年不詳)は、平安時代中期の貴族。大納言・橘好古の孫で、右中弁・橘為政の子とする系図がある。官位は四位・尾張守。 一条朝の長保元年(999年)経国が国守を務めていた丹波国に向けて蔵人所小舎人・上友延が派遣を命ぜられるが、友延は下向せずに京にある経国の邸宅に行って経国の妻子を責めるという事件を起こしている。寛弘8年(1011年)宇治使次官に任ぜられるが、次官の経国が四位で長官の多米国隆が五位であったため、大納言・藤原実資によって選任のやりなおしが命ぜられている。 三条朝の長和年間に尾張守を務めたのち、後一条朝初頭の寛仁元年(1017年)5月24日に病気を理由に出家した。 逸話 経国に関する逸話が『今昔物語集』にある。 経国が伯耆守であった時に、ひどい凶作で食べ物がなくなった年があり、乾飯を盗もうとして国府のそばの蔵に侵入するも、乾飯はなく脱出もできなくなっていた盗人が蔵の中から助け出された。人々は大した罪ではないため速やかに追放するように言ったが、経国は後々の聞こえもあることを理由に盗人を磔に処した。これに対して、自ら進んで罪を白状したのに残念なことだ、と人々は非難したという[1]。 官歴 長保元年(999年) 11月11日:見丹波守[2] 寛弘8年(1011年) 12月27日:見四位[3] 長和4年(1015年) 閏6月14日:見尾張守[3] 寛仁元年(1017年) 5月24日:出家(前尾張守)[4] 系譜 『渋江系図』内題、橘姓渋江氏世系図(東大史料編纂所蔵写本)による。 父:橘為政 母:不詳 生母不詳の子女 男子:橘為経 脚注 ↑ 『今昔物語集』巻29第10話 伯耆国府蔵入盗人被殺語 ↑ 『権紀』 1 2 『小右記』 ↑ 『御堂関白記』 参考文献 近藤敏喬『古代豪族系図集覧』東京堂出版、1993年 宮崎康充編『国司補任 第四』続群書類従完成会、1990年 Related Articles