櫟野寺
滋賀県甲賀市にある寺院
From Wikipedia, the free encyclopedia
櫟野寺(らくやじ)は、滋賀県甲賀市甲賀町櫟野[1]にある天台宗の寺院。山号は福生山。院号は自性院。本尊は十一面観音(櫟野観音)。また、甲賀三大仏の一つである薬師如来像が安置されている。甲賀六大寺のひとつ。
| 櫟野寺 | |
|---|---|
|
本堂 | |
| 所在地 | 滋賀県甲賀市甲賀町櫟野1377 |
| 位置 | 北緯34度53分49.5秒 東経136度15分8.6秒 |
| 山号 | 福生山 |
| 院号 | 自性院 |
| 宗派 | 天台宗 |
| 本尊 | 十一面観音(櫟野観音、重要文化財) |
| 創建年 | 伝・延暦11年(792年) |
| 開山 | 伝・最澄 |
| 開基 | 伝・坂上田村麻呂 |
| 正式名 | 福生山自性院櫟野寺 |
| 別称 | いちいの観音 |
| 札所等 |
近江西国三十三箇所第29番 甲賀西国三十三所第1番 びわ湖百八霊場第85番 湖国十一面観音菩薩霊場第8番 |
| 文化財 |
木造聖観音立像、木造薬師如来坐像、木造毘沙門天立像ほか(重要文化財) 木造弥勒菩薩坐像、版本妙法蓮華経(県指定有形文化財) |
| 公式サイト | 福生山 櫟野寺(いちいの観音) |
| 法人番号 | 6160005002904 |
歴史
当寺は、延暦11年(792年)に延暦寺根本中堂の用材を求めて甲賀郡杣庄の地を訪れた最澄が、自ら櫟の生樹に一刀三礼で十一面観音像を彫り、それを安置した堂舎を建立したのに始まると伝えられる[2]。
延暦21年(802年)に征夷大将軍に任命された坂上田村麻呂が蝦夷征討に赴いた際、当寺の十一面観音像を参詣してから出陣したところ、蝦夷を平定できた。もしくは、同年に鈴鹿山の山賊を追討するためにやってきた田村麻呂は、当寺の十一面観音像に祈ると、その力によって鈴鹿山の山賊を平定することができたという(鈴鹿山鬼退治と伝わる)。これにより田村麻呂は当寺を祈願寺とし、大同元年(806年)に七堂伽藍を建立したうえ、自ら等身の毘沙門天像を彫刻して家来に命じ、相撲を奉納したという[2]。
以後たびたび堂宇を焼失しているが、そのつど再建されている。
当寺は延暦寺の有力末寺として、また、甲賀六大寺(櫟野寺・油日寺・河合寺・新宮寺・千光寺・矢川寺)の筆頭として往時は広大な境内地を有しており[2]、末寺として阿弥陀寺・仏生寺・常楽寺・地蔵寺・成道寺・安国寺・詮住寺などを擁し[2]、この地方における天台文化の中心寺院であった[3]。
江戸時代には坂上田村麻呂の信仰が盛んとなり、鈴鹿山麓にあって田村麻呂を祀る田村神社と当寺を詣でる「田村参り」が盛んに行われた[4]。
境内
- 本堂
- 宝物館(大悲閣) - 収蔵庫。
- 奥書院
- 十三重石塔
- 庫裏
- 東門
- 客殿
- 土俵
- 西門
- 鐘楼
- 仁王門
- 十一面観音坐像石仏群
- 山門
- 鐘楼
- 土俵
- 東門
文化財
重要文化財
- 木造十一面観音坐像(本尊) - 櫟野観音とも呼ばれる。坐像で総高5.3メートル、像高3.12メートルの巨像[2]。平安時代後期の作。かつては33年に一度のみ開扉される秘仏であったが、現在は春秋などに特別公開がある。重要文化財に指定された十一面観音では坐像としては日本最大[5]の大きさを誇る。
- 木造聖観音立像
- 木造薬師如来坐像 - 甲賀三大仏の一つ。当寺の筆頭末寺であった油日岳奥の院・詮住寺の本尊と伝わる。定朝様の寄せ木造りで平安時代後期の周丈六仏。台座、光背も当時のものが残る滋賀県下最大の薬師如来坐像[4]。
- 木造毘沙門天立像
- 木造地蔵菩薩坐像
- 仏像6躯(一括指定)
- 木造十一面観音立像
- 木造聖観音立像 2躯
- 木造吉祥天立像 2躯
- 木造地蔵菩薩立像
- 仏像9躯(一括指定)
- 木造地蔵菩薩立像
- 木造聖観音立像 5躯
- 木造十一面観音立像 2躯
- 木造吉祥天立像
2016年(平成28年)9月13日から2017年(平成29年)1月9日まで、創建以来初めて、通常は秘仏とされている本尊で像高3メートルの巨大な十一面観音坐像をはじめとする重要文化財の平安仏全20体が寺外に持ち出され、東京国立博物館で展示された[5]。
滋賀県指定有形文化財
甲賀市指定有形文化財
前後の札所
所在地
- 滋賀県甲賀市甲賀町櫟野1377
アクセス
- JR草津線 甲賀駅より甲賀市コミュニティバス(大原線)で約15分「櫟野観音前」下車。