欧陽炯
From Wikipedia, the free encyclopedia
生まれは唐の昭宗の乾寧3年(896年)、欧陽炯は若くして前蜀の後主王衍に仕えて中書舎人となり、蜀が亡びると後唐に帰順し、秦州(現在の甘粛省天水市)従事となる。孟知祥が西川節度使に任じられると、欧陽炯は西川(益州)に戻った。その後、西川節度使に任じられた孟知祥が成都を拠点に自立し、後蜀を建てると、欧陽炯は今度は孟知祥に仕え、再び中書舎人となる。広政12年(949年)、後主孟昶は彼を任命して翰林学士とし、950年、欧陽炯は知貢挙・判太常寺。礼部侍郎に遷り、陵州(現在の四川省眉山市)刺史を拝領し、吏部侍郎に転じ、承旨を加贈された。961年。欧陽炯は門下侍郎兼戸部尚書・平章事・監察国史を拝し、宰相となった。965年、宋の太祖が後蜀を滅ぼすと、欧陽炯は宋に帰順し、右散騎常侍となり、にわかに翰林学士に充てられ、左散騎常侍に転じた。
太祖の開宝4年(971年)、宋が南漢を滅ぼすと、彼は南海を祭る一件で、太祖の弟の趙光義に罪を得て、本官西京[注 2]分司[注 3]を以て卒した。年は76歳、工部尚書を追贈された。