歌川国鶴 (2代目)
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歌川国鶴の長男。本姓は和田、名は官之助。一雄斎と号す。浅草花川戸に生まれ、父国鶴に絵を学ぶ。明治5年(1872年)には幻灯を、義兄にあたるイギリス人貿易商のニコラス・フィリップ・キングドン(1829年 - 1903年)から譲られ、幻灯絵を描いて巡回興行を行った。また初めて写真の背景画を描いた。明治5年(1872年)から明治8年頃にかけて、「横浜繁栄本町通時計台神奈川県全図」[1]などの横浜絵を版行している。明治10年(1877年)以後、横浜の父の絵草紙屋を継いだ。明治13年(1880年)に上京し、東京の中橋広小路で絵草紙屋をはじめた。次いで芝愛宕山下日蔭町に店を移し、自作の石版画などを商う。玄々堂のためにも働いている。石版画の技術は梅村翠山の彫刻会社でオットマン・スモリックに付いて学び、明治22年(1889年)、「北廓美人」などといった砂目石版の作品を残した。当時における進取的な絵師の一人であった。大阪にて没す、享年68。息子に六代目歌川豊国がいる。