歌沢寅右衛門 (うた沢)
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二代
本名は平田虎右衛門(文化10年〈1813年〉- 明治8年〈1875年〉10月2日)。江戸は日本橋橘町に住む畳職人であり、初代と血縁関係は無い。当時流行の小唄を嗜み天性の美声として「橘町平虎」の名で評判を呼んだ。虎右衛門に教わっていた隠居旗本の笹本彦太郎(雅号・笹丸)は虎右衛門に流派を立てることを勧め、安政2年に創設[2]。ただ虎右衛門は一介の畳屋であるため形式上は笹本が初代家元となり、安政4年には嵯峨御所より歌沢大和大掾の許しを得て正式な流派とした。虎右衛門は笹本より家元を譲りうけ歌沢の二代目となる[3]。
文久2年(1862年)に笹丸の顕彰碑を向島木母寺に建立。笹丸の創ったものを継承する意味合いを込めて「二世歌沢虎右衛門」と碑面に刻んだが、無断だったことで関係が拗れ、哥沢芝金等は袂を分かったとされる。