正体不明のフランス人少年
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レース勝利後に撮影された、正体不明の少年(中央)、フランソワ・ブラント(英語版) (左)、ロエロフ・クライン(英語版) (右) | ||||||
| 個人情報 | ||||||
|---|---|---|---|---|---|---|
| 国籍 | おそらくフランス | |||||
| スポーツ | ||||||
| 競技 | ローイング | |||||
| ポジション | コックスウェイン(英語版) | |||||
| 種目 | 男子舵手付きペア(英語版) | |||||
| チーム | ||||||
| パートナー | ||||||
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正体不明のフランス人少年(しょうたいふめいのフランスじんしょうねん、英語: unknown French boy)は、1900年8月26日に行われたパリオリンピックの男子舵手付きペア(英語版)決勝で、試合直前に急遽メンバーとなり混合チームとして優勝したコックスウェイン(英語版)(コックス、舵手)である。おそらく史上最年少のオリンピックメダリスト[注釈 1][注釈 2]であろうと考えられているが、少年の正体は未だ不明であり、長きにわたり調査が続けられている。オリンピック記録上は「unknown French boy」となっているが、国籍も分かっていない。
オランダチームは当初、漕手をフランソワ・ブラント(英語版)とロエロフ・クライン(英語版)、コックスを経験豊富なヘルマナス・ブロックマン(英語版)としていたが、予選でフランスチーム[注釈 3]に敗北し2位通過した。1926年にブラントが書いた手記によれば、フランスチームは体重の軽い子供をコックスとして乗せており、体重が25キログラムを超えると交代させていた[注釈 4]。そこでオランダチームは体重が重いためフランスチームが除外した、バス=セーヌ協会(SOCIéTé DE LA BASSE-SEINE)に属していた少年を選び、コックスとした[10]。
体重60キログラムのブロックマン[11]に対し、少年は体重が33キログラムしかなかったため舵が水面から出てしまい、5キログラムの鉛の重りをボートに乗せてバランスを取った[12]。
この少年を乗せた結果、決勝でオランダチームは2位のフランスチームに0.2秒差の7分34秒2で勝利[13][4]。レース後に三人で記念写真を撮ると、少年は群衆の中に消えた[8][4]。
オリンピック史研究者には、少年は当時8歳くらいであり、史上最年少のオリンピックチャンピオンだと考えている者もいる一方、アントニ・ベイカーク(オランダ語版)のように12、13歳だったと考えている者もいる[14]。
少年の正体
歴史家のヒラリー・エヴァンス(Hilary Evans)はこの少年の正体は「the biggest Olympics mystery of all(オリンピック最大の謎)」[14]、国際オリンピック歴史家協会(英語版)元会長のデイヴィッド・ワルチンスキー(英語版)は「これは五輪の歴史における大いなる謎だ」と述べた[8]。ローザンヌにあるオリンピックスタディーセンターのIOCヒストリカルアーカイブにも少年の名前は残っておらず、代わりに「unknown French boy(正体不明のフランス人少年)」と記されている。唯一知られている少年の写真は、1960年にアントニ・ベイカーク(オランダ語版)がブラントが持っていた記念写真集の中から発見した[10][4]。アメリカオリンピック・パラリンピック委員会公式歴史研究者のビル・マロン(英語版)は、1900年代からのフランスやドイツのローイング競技雑誌を調査したが、この少年について言及したものは無かった。マロンは1980年代にクラインの娘にインタビューもしているが、彼女の父親が少年について語ったことはないとのことだった[8][4]。
『Stan Greenberg's Olympic Almanack 2012』には、少年は「マルセル・デパイエ(Marcel Depaillé)」との情報があるが「出所は誰も知らない」と書かれている [15]。ヒラリー・エヴァンスは「せいぜい状況証拠に過ぎない」とも認めたうえで、外見が似ているベルギーのオリンピック選手アルフレッド・ヴァン・ランデヘム(英語版)ではないかと推測した[4]。
2016年には、ジョージアの歴史家パータ・ナツリシビリ(ジョージア語版)が少年はフランス人ではなく、 家族(英語版)とパリオリンピックを見に来ていたジョージア人のギオルギ・ニコラゼではないかと主張した。ギオルギはのちに数学者、冶金学者、トビリシ国立大学の教授になった人物であるが、ナツリシビリによれば、ギオルギの姉ルスダナ・ニコラゼ(英語版)が1978年に、ギオルギがその時期にフランスのボートレースで勝ったと語ったとのことである[16][17]。国際オリンピック歴史家協会のメンバーは状況証拠からニコラゼが本当に正体不明の少年であるとは確信を持てずにおり、ビル・マロンは、ニコラゼは少年と「ちょっとしか」似ていないと述べている[8]。
脚注
注釈
- ↑ 1900年パリオリンピックでは全競技でメダルが授与された訳ではないが、その順位に応じたメダリストとして扱われている[1][2]。この競技の優勝者には「ラ・シャンソン(La Chanson)」と名付けられたブロンズの女性像が授与された[3][4]。
- ↑ 名前・年齢が判明している最年少のオリンピックメダリストは、1896年アテネオリンピックの体操団体平行棒のディミトリオス・ロウンドラス(銅。ただし参加3チーム)の10歳218日[5][6]。ギネスブックの最年少金メダリストは1994年リレハンメルオリンピック女子ショートトラックスピードスケート3000メートルのキム・ユンミ(英語版)の13歳85日[7]。
- ↑ 本競技に出場した7チームの構成は、フランス5チーム、オランダ1チーム、ベルギー1チームだった[8]。
- ↑ デイヴィッド・ワルチンスキーによると、当時ほとんどのチームが子供をコックスにしていた[8]。現在ではボート競技のうち軽量級でコックスの最低体重制限がある[9]。
出典
- ↑ Greensfelder, Jim; Vorontsov, Oleg; Lally, Jim (1998). Olympic Medals: a reference guide. GVL Enterprises. pp. 9–10
- ↑ “Olympic Summer Games Medals from Athens 1896 to Tokyo 2020”. Olympic Studies Centre. 2020年9月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年8月13日閲覧。
- ↑ Bijkerk, Anthony (2001). “Rowing at the Games of the 2nd Olympiad, Paris 1900 - or François Brandt's Statue Found” (pdf). Journal of Olympic History(英語版): 28–30. https://isoh.org/wp-content/uploads/JOH-Archives/johv9n1i.pdf.
- 1 2 3 4 5 6 Prewitt, Alex (2021年8月5日). “The Youngest Olympic Medalist in History Remains a Mystery”. スポーツ・イラストレイテッド (アメリカ英語). 2024年12月3日時点のオリジナルよりアーカイブ. 2025年6月8日閲覧.
- ↑ ムスタファ・ケスス 著、芦立一義 訳『オリンピック100話』白水社 <文庫クセジュ>、2022年、21-22頁。ISBN 978-4-560-51048-3。
- ↑ 武田薫『増補改訂 オリンピック全大会』朝日新聞出版 <朝日選書>、2019年、61頁。ISBN 978-4-02-263087-2。
- ↑ “Youngest Olympic gold medallist”. Guinness World Records. 2026年3月19日閲覧。
- 1 2 3 4 5 6 Robinson, Joshua (2016年8月9日). “This Boy Might Be the Youngest Ever Olympian—No One Knows Who He Is” (英語). The Wall Street Journal. ISSN 0099-9660. http://www.wsj.com/articles/maybe-eight-possibly-frenchthe-search-for-the-youngest-ever-olympian-1470758952 2025年6月8日閲覧。 。この記事の和訳は、「JOSHUA ROBINSON (2016年8月12日). “史上最年少の五輪選手めぐる謎”. THE WALLSTREET JOURNAL. Dow Jones & Company, Inc.. 2016年8月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2026年3月15日閲覧。」であるが、誤訳があり注意。
- ↑ “ローイング競技について”. 日本ローイング協会. 2026年4月1日閲覧。 “
3.Cox(舵手)
男子 ユニフォームを含めて55kg以上
女子 ユニフォームを含めて50kg以上
※Coxの体重制限はオープン競技と同じです。
※男子、女子とも規定の体重に満たない場合は、最大限15kgのデッドウェイトを置かなければなりません。” - 1 2 Tony Bijkerk (1997). “ROWING AT THE GAMEs OF THE 2ND OLYMPIAD, PARIS 1900”. Journal of Olympic History (International Society of Olympic Historians): 26-27. https://isoh.org/wp-content/uploads/JOH-Archives/JOHv5n1m.pdf.
- ↑ “Hermanus Gerardus BROCKMANN”. International Olympic Committee. 2026年4月1日閲覧。
- ↑ 深井千弘 (2024年7月26日). “史上最年少金メダリストは誰か…1900年パリ五輪に出場した「体重33キロ」の少年説”. 読売新聞オンライン. 読売新聞東京本社. 2024年7月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2026年3月13日閲覧。
- ↑ “Paris 1900 Rowing pair-oared shell with coxswain men Results”. International Olympic Committee. 2026年4月1日閲覧。
- 1 2 “'Unknown Boy' may be the youngest ever Olympic champion” (英語). ボイス・オブ・アメリカ (2024年8月10日). 2025年3月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年6月8日閲覧。
- ↑ Greenberg, Stan (2012). Stan Greenberg's Olympic Almanack 2012. Sportsbooks. pp. 4. ISBN 1907524223. https://archive.org/details/stangreenbergsol0000gree/mode/2up. "舵つきペアの決勝で風変りな出来事が起こった。優勝したオランダチームのコックスが直前に小さなフランス人の少年に交代したというものだ。彼の名前は記録されておらず、その後行方不明になったが、10歳未満で、おそらくは7歳と広く言われており、とすれば史上最年少のオリンピック金メダリストということになる。2006年には「マルセル・デパイエ(Marcel Depaillé)」という名前が浮上したが、その情報の出所は不明である。"
- ↑ Natsvlishvili, Paata (2016). “Was the "unknown French boy" in 1900 actually from Georgia?” (pdf). Journal of Olympic History(英語版) (International Society of Olympic Historians) 24 (3): 20–26. https://library.olympics.com/Default/doc/SYRACUSE/2954107/was-the-unknown-french-boy-in-1900-actually-from-georgia-by-paata-natsvlishvili.
- ↑ Natsvlishvili, Paata (2016) (English), Giorgi Nikoladze : "unknown french boy", Georgian Sports Journalists Association, ISBN 978-9941-0-9042-4, オリジナルの2024-08-05時点におけるアーカイブ。, https://web.archive.org/web/20240805123709/https://library.olympics.com/Default/doc/SYRACUSE/207298/giorgi-nikoladze-unknown-french-boy-paata-natsvlishvili 2025年6月8日閲覧。