正木信茂

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正木 信茂(まさき のぶしげ、天文9年(1540年) - 永禄7年1月8日1564年2月20日))は、戦国時代武将里見氏の家臣。正木時茂の嫡男。平七、大太郎と称す。

天文9年(1540年)、里見氏の家臣・正木時茂の嫡男として誕生。

永禄4年(1561年)頃、父時茂に代わって家督を継ぎ当主となる[1][2]。主君・里見義堯の娘・種姫を娶った。里見氏の北上政策の中心的存在として千葉氏原胤貞大須賀政常らと戦う。この頃から上総下総の里見軍の命令には信茂の名義で発給されているものが多く、また叔父である正木時忠が占領した大須賀氏領の小見川(現在の千葉県香取市)の返還に関して行われていた父・時茂と千葉胤富との交渉を引き継いだのも信茂であった。また、『海上年代記』において下総国匝瑳郡長谷(現在の千葉県匝瑳市)に城を築いた「正木大膳亮」も信茂のこととみられており、若年ながら既に里見軍の中心的な人物の一人であったと考えられる。

永禄7年(1564年)の第二次国府台合戦の際に戦死した[3][4]。享年25。

種姫

脚注

参考文献

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