武石弘三郎
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新潟県南蒲原郡中之島村の庄屋の家に生まれる。東京美術学校塑像科で長沼守敬に学び、1901年(明治34年)卒業。ベルギーに8年間滞在し、その間にブリュセル国立美術学校に学んだ。
1909年(明治42年)帰国。同郷の石黒忠悳の知遇を得て、その関係で松本順・石黒忠悳像[1]や森鴎外像の制作を手がけた。
文部省展覧会、帝国美術院展覧会に出品。明治末から昭和戦前期にかけて数多くの人物像を制作した。また、早稲田大学理工学部建築学科の講師を務め、多くの建築家を育てた。
第二次世界大戦後の作品は少ないが、今井兼次の依頼により制作した世界平和記念聖堂の欄間装飾がある。1963年、老衰のため、鎌倉市の自宅で逝去。墓所は雑司ヶ谷霊園。