武藤康史
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1958年東京都生まれ。1977年東京都立国立高等学校卒業。1981年慶應義塾大学文学部文学科国文学専攻卒業。1986年慶應義塾大学大学院文学研究科国文学専攻修士課程修了。1997年武蔵野音楽大学専任講師、2005年助教授、2007年准教授、2012年教授(日本語・日本文学)[2]。
年譜
人物
- 都立高校から何校か選び、そこを舞台にした小説や自伝的文章を紹介する「都立高校文学概説」を執筆している(『文学鶴亀』に収録)。
- 大学時代に映画・文学批評の同人誌「キップル」[3]を畑中佳樹、斎藤英治と発行。また、映画評論等を雑誌に寄稿、『マリ・クレール』や『リュミエール』で、古典的教養をポップに語り話題となった。
- 小説家の村上春樹が1986年にジョン・アーヴィングの『熊を放つ』を翻訳する際、柴田元幸、畑中佳樹、上岡伸雄、斎藤英治、武藤康史の5人でチームを組んでバックアップした[4]。
- 赤瀬川原平の『新解さんの謎』などで有名になった「新明解国語辞典」の独創的な語釈などについても、赤瀬川以前から取り上げていた。『吉田健一集成』(新潮社)における年譜・書誌作成などにも独特の才能を発揮。
- 2008年文藝エッセイ集『文学鶴亀』(国書刊行会)を上梓(題名は愛する作家・里見弴の作品『文学』と『鶴亀』を組み合わせたものである)。
- 「旧字・旧かな」を愛していて、高校2年生の時から、ずっと「旧字・旧かな」で文章を書いている(高校2年の夏休みに、『谷崎潤一郎全集』を完読して、「乗り移った」とのこと)。雑誌などに発表する文章も、一旦「旧字・旧かな」で書いてから、「新字・新かな」になおしていた(あまりの効率の悪さに、三十代なかばに「最初から新字・新かな」でかけるよう、練習して会得したとのこと)
- 若くして事故死した歌人・国文学研究者安藤美保(彼女も「旧かな」で短歌を作る人であった)の日記を、「水夢抄」の題で『短歌往来』に6年にわたって連載していた。『三田文学』に「三田文学の歴史」を連載中。
- 文学作品の朗読を愛し、樋口一葉作品の朗読家、幸田弘子の大ファンである。また、谷川俊太郎の自作朗読も素晴らしいという。朗読会にもよく行き、またラジオでもよく朗読番組を聴いている。
- テレビ番組は嫌いで観ない。テレビは映画をビデオ、DVDで見るために使用しているという。パソコン、インターネットも一切やらない。