武雄神社 (武豊町)
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| 武雄神社 | |
|---|---|
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拝殿 ![]() | |
| 所在地 | 愛知県知多郡武豊町上ケ8 |
| 位置 | 北緯34度51分22.8秒 東経136度55分16.1秒 / 北緯34.856333度 東経136.921139度座標: 北緯34度51分22.8秒 東経136度55分16.1秒 / 北緯34.856333度 東経136.921139度 |
| 主祭神 | 須佐之男命(主祭神) |
| 社格等 |
従三位 帳内社 郷社 |
| 創建 | (論)奈良時代以前 |
| 本殿の様式 | 流造 |
| 別名 | 天王 |
| 地図 | |
武雄神社(たけおじんじゃ)は、愛知県知多郡武豊町上ケにある神社。『尾張国内神名帳』の知多郡「武雄天神」に比定されている。
歴史
近世まで天王と称され、知多郡長尾村の氏神であった。貝塚の上に境内があり、創建年は定かでないが奈良時代以前とする説がある[1]。鎌倉時代中期からは長尾城[2]という城郭の一部として祀られた[3][4]。承久3年(1221年)の承久の乱後には山城国醍醐から代官として赴任した岩田氏が長尾城の城主となり、岩田氏の末裔が武雄神社の神官を務めている[3][4]。天文年間と弘治年間に岩田氏によって社殿が修造された際の棟札が残るという。江戸前期成立の『寛文村々覚書』には「長尾村...天王 弥大夫持分 前々除」とある。
江戸期に天野信景によって『尾張国内神名帳』の知多郡「武雄天神」に比定され、定説となった。当社が武雄天神に比定されたのは、所在地が長尾村で「長尾」を「たけお」と訓じることができるためである。「武雄天神」の名は『延喜式神名帳』や『尾張国内神名帳』(貞治本・元亀本)には記載されていない。記載があるのは『尾張国内神名帳』のうち甚目本や正徳本など一部の写本のみで、「従三位 武雄天神」とある。
1872年(明治5年)には村社に列格された[5]。1878年(明治11年)に郡区町村編制法の施行によって知多郡長尾村と大足村が合併する際には、長尾村の氏神である武雄神社と大足村の氏神である豊石神社から一字ずつを取って武豊村と命名された。1923年(大正12年)時点の境内地面積は2514坪、氏子数は664人だった[6]。
1940年(昭和15年)4月には郷社に列格された[5]。戦後には神社本庁に所属して七級社に指定されたが、1955年(昭和30年)4月には愛知県神社庁によって四級社(旧国幣社格相当)に指定され、知多半島随一の社格を持つ神社となった[5]。武豊町にある旧郷社は武雄神社と知里付神社(ちりゅうじんじゃ)の2社のみである[5]。
