歩兵第115連隊
From Wikipedia, the free encyclopedia
| 歩兵第115連隊 | |
|---|---|
| 創設 | 1937年(昭和12年)10月18日 |
| 廃止 | 1939年(昭和14年)8月 |
| 再編成 | 1940年(昭和15年)8月 |
| 廃止 | 1945年(昭和20年) |
| 所属政体 |
|
| 所属組織 |
|
| 編制単位 | 連隊 |
| 兵科 | 歩兵 |
| 所在地 | 日本-南支-ラバウル-ニューギニア |
| 編成地 | 高崎 |
| 通称号/略称 | 基2804 |
| 上級単位 | 特設第114師団 - 第51師団 |
| 最終位置 | ニューギニア |
| 戦歴 | 日中 - 第二次世界大戦 |
歩兵第115連隊(ほへいだい115れんたい、歩兵第百十五聯隊)は、大日本帝国陸軍の歩兵連隊の一つ。日中戦争勃発を受けて、群馬県高崎市にて編成された特設第114師団の隷下部隊として歩兵第15連隊の予備役召集などにより編成。
1939年(昭和14年)に一旦解隊するが、翌1940年(昭和15年)、歩兵第15連隊の満洲移駐により高崎を衛戍地とする常設連隊として第51師団隷下に再編成された。その後南支方面から1942年(昭和17年)に南方戦線に派遣。ニューギニアの戦いで壊滅的打撃を受けた。
- 1937年(昭和12年)10月18日、連隊長が軍旗親授式に参加。勅語を賜る[1]。第114師団隷下。
- 1937年(昭和12年)10月-12月、南京攻略戦に参加。
- 1938年(昭和13年)2月、北支方面に転戦。同年5月、徐州方面。
- 1939年(昭和14年)8月、高崎に帰還。軍旗奉還。
- 1940年(昭和15年)8月、歩兵第15連隊の満州移駐とともに再召集、高崎市を衛戍地とする。
- 1941年(昭和16年)8月、南支派遣軍。
- 1942年(昭和17年)11月、ラバウル進出(第18軍隷下)。
- 1943年(昭和18年)2月28日-3月3日、ニューギニア島へ向かう途中のダンピール海峡で大規模な空襲を受け、壊滅的な打撃を被る(ビスマルク海海戦)。その後ニューギニアで消耗戦を繰り返しつつ終戦を迎える。