沖縄県国頭郡久志村(現・名護市)に生まれる。琉球大学農学部農芸化学科を卒業した。[1][2]
1971年、琉球大学郷土芸能研究クラブで三線と太鼓を始めた。1972年、太鼓を島袋光史、歌三線を棚原忠徳に師事し、本格的な修業に入った。1979年、野村流組踊地謡研究会主催の第1回「組踊を聞く」における「万歳敵討」で、組踊音楽太鼓の初舞台を務めた。1985年には光史流太鼓保存会比嘉聰練場を開き、後進の育成を始めた。[1]
1988年12月、光史流太鼓より師範免許を取得した。1991年12月、野村流古典音楽保存会より師範免許を取得した。1996年4月から2015年3月まで沖縄県立芸術大学非常勤講師を務め、2005年4月からは国立劇場おきなわ組踊研修講師を務めた。2005年4月から2018年3月までは沖縄県立芸術大学の専任教授を務めた。[2]
1997年2月、沖縄タイムス芸術選賞大賞を受賞した。2001年2月、県指定無形文化財「沖縄伝統舞踊(太鼓)」保持者に認定された。2003年11月、国指定重要無形文化財「組踊音楽太鼓」総合認定保持者となった。2015年9月には重要無形文化財「組踊」総合認定保持者に認定され、2017年10月2日には重要無形文化財「組踊音楽太鼓」保持者として各個認定を受けた。[1][2]
2011年9月24日、国立劇場おきなわ大劇場で独演会「光源の響き」を開催した。2017年11月1日には、同年の人間国宝認定を記念する特別企画公演「人間国宝・至芸の宴」が国立劇場おきなわで上演された。2024年2月18日には、同劇場で比嘉聰顕彰公演「光源の響き」が開催された。[3][4][5]
2022年、沖縄伝統太鼓協会会長に就任した。令和4年春の叙勲で旭日小綬章を受章した。沖縄県立芸術大学ではのちに名誉教授となっている。[6][7]