毛利幸子

From Wikipedia, the free encyclopedia

本名 猪亦 幸子
出生地 日本の旗日本山口県
民族 日本人
ジャンル 俳優
もうり さちこ
毛利 幸子
本名 猪亦 幸子
出生地 日本の旗日本山口県
民族 日本人
ジャンル 俳優
活動内容 映画テレビドラマ
テンプレートを表示

毛利 幸子(もうり さちこ[1])は、日本の元女優山口県出身[2]

日本大学芸術学部を志願するが学費の関係から断念する[2]。その後、東宝芸能学校の募集記事を読んで、家族を説得して上京[2]。第1期生として入学。同期は、のちに円谷プロの営業部長となる津田彰がいた[3]

卒業後は、第8期ニューフェイスとして東宝に入社[2]。1956年の映画『嵐』でデビュー[2]

テレビ映画では、ウルトラシリーズほか、円谷プロ制作の特撮作品などに出演しているが、本人は、「出演していた記憶がほとんどない」と語っている[4]。その一方で、東宝の俳優仲間であり、監督に転身した鈴木俊継が、自身の監督作品にてゲストに起用してくれたことに関しては、「ありがたかった」と感謝の言葉を述べている[4]

東宝の専属制度が廃止されてからは、一般のプロダクションに在籍していた[4]

出演作品

脚注

参考文献

Related Articles

Wikiwand AI