毛利幸子
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日本大学芸術学部を志願するが学費の関係から断念する[2]。その後、東宝芸能学校の募集記事を読んで、家族を説得して上京[2]。第1期生として入学。同期は、のちに円谷プロの営業部長となる津田彰がいた[3]。
卒業後は、第8期ニューフェイスとして東宝に入社[2]。1956年の映画『嵐』でデビュー[2]。
テレビ映画では、ウルトラシリーズほか、円谷プロ制作の特撮作品などに出演しているが、本人は、「出演していた記憶がほとんどない」と語っている[4]。その一方で、東宝の俳優仲間であり、監督に転身した鈴木俊継が、自身の監督作品にてゲストに起用してくれたことに関しては、「ありがたかった」と感謝の言葉を述べている[4]。
東宝の専属制度が廃止されてからは、一般のプロダクションに在籍していた[4]。