毛利梅園
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寛政10年(1798年)、江戸幕府旗本毛利兵橘元苗(もとひで)の長男として生まれた[3]。家系は大江毛利氏ではなく、毛利重政を祖とする藤姓毛利氏である。
享和3年(1803年)、木挽町築地の拝領屋敷500坪が旗本寄合席有馬熊五郎へ譲られ、白山鶏声ヶ窪古河藩土井家屋敷内852坪地に転居した[2]。
文政3年(1820年)頃から植物に興味を持ち、写生に熱中するようになった[2]。屋敷内に草木を植え、当初梅樹園と号していたが、後に阿部正精に欑華園の号を賜った[2]。文政5年(1822)12月24日書院番諏訪備前守組に加入し、文政13年(1830年)5月4日父の遺領を相続した[2]。
天保2年(1831年)動物、天保6年(1835年)菌類に関心が移り、天保10年(1839年)活動が一端途絶える[2]。天保13年(1842年)3月7日牛込からの大火に類焼し、3月15日麻布龍土町長州藩毛利家下屋敷に移り、梅竜園と号した[2]。弘化2年(1845年)8月25日白山に新居を着工した[2]。
弘化元年(1844年)写生活動を再開し、初めツバキの諸品種を模写している[2]。江戸近郊へも積極的に採集に出かけるようになり、嘉永元年(1848年)9月高尾山、嘉永2年(1849年)3月箱根に採集を行い、また小仏峠、大山、江ノ島、鎌倉、金沢等も巡った[2]。しかし、嘉永2年(1849年)で活動が途絶え[2]、嘉永4年(1851年)8月7日死去し、三田正覚院に葬られた[3]。
著書
『梅園画譜』
国立国会図書館所蔵の一連の画譜を『梅園画譜』と総称する。
- 『梅園禽譜』 NDLJP:1286915
- 『梅園魚譜』 NDLJP:1286914
- 『梅園介譜』 NDLJP:1286918
- 『梅園草木花譜』 春NDLJP:1287072 夏NDLJP:1287075 秋NDLJP:1287024 冬NDLJP:1286927
- 『梅園海石榴花譜』 NDLJP:1286917
- 『梅園菌譜』 NDLJP:1286916
- 『草木実譜』 NDLJP:2537209
- 『梅園虫譜』 散佚したが、田中芳男等が町田久成蔵本より大部分を『博物館図譜』[4]に模写している[2]。
自ら採集、知人より得た実物を中心に写生し、写生日、実写か模写かを記し、更にしばしば入手元を記載している点が先進的と評価される一方、縮尺を示さず、分類学に意識が向けられていないことが欠点である[2]。
その他
- 『梅園採薬紀行図絵』 散佚[2]。
- 『欑華園中輳集草木志』 国立国会図書館所蔵。
- 『皇代系譜』 第1-10冊が元苗、第11-12冊が元寿の手になる[3]。内閣文庫所蔵。
- 『梅園雑話』伊藤篤太郎旧蔵、天理大学附属天理図書館所蔵。