父の院蔵人所衆・大石信敬は雅楽助・身人部茂清の子で、藤原信任・右将監藤原信友女夫妻の養子となって大石氏を継承している。
文化元年(1804年)5月3日には28歳で従六位下・左府生に叙任された。同5年4月1日には東宮帯刀に補任され、同9年(1812年)3月14日には従六位上・左将曹に叙任された。
文政2年(1820年)12月18日には正六位下に叙され、文政7年(1824年)7月16日には院近衛代に任じられ、翌年の7月19日には左近将監に転じ、7月20日には再び院近衛代へと還補している。文政9年(1826年)12月19日には正六位上に、天保5年(1834年)4月16日には従五位下に叙され、天保12年(1841年)4月14日に64歳で死去した[2]。