後桃園天皇
日本の第118代天皇
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後桃園天皇(ごももぞのてんのう、1758年8月5日〈宝暦8年7月2日〉- 1779年12月16日〈安永8年10月29日〉)は、日本の第118代天皇(在位:1771年1月9日〈明和7年11月24日〉- 1779年12月16日〈安永8年10月29日〉)。諱は英仁(ひでひと)。幼名は若宮(わかのみや)。
| 後桃園天皇 | |
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後桃園天皇像(陽明文庫蔵) | |
| 即位礼 |
1771年6月10日 (明和8年4月28日) |
| 大嘗祭 |
1771年12月24日 (明和8年11月19日) |
| 元号 |
明和 安永 |
| 時代 | 江戸時代 |
| 征夷大将軍 | 徳川家治 |
| 先代 | 後桜町天皇 |
| 次代 | 光格天皇 |
| 誕生 |
1758年8月5日 (宝暦8年7月2日) 平安京(京都) |
| 崩御 |
1779年12月16日 (安永8年10月29日) |
| 大喪儀 |
1780年1月16日 (安永8年12月10日) |
| 陵所 | 月輪陵 |
| 追号 |
後桃園院 (後桃園天皇) |
| 諱 | 英仁 |
| 称号 | 若宮 |
| 元服 |
1768年9月19日 (明和5年8月9日) |
| 続柄 |
桃園天皇第1皇子 一条富子第1子 後桜町天皇皇甥 神武天皇66世孫 |
| 父親 | 桃園天皇 |
| 母親 | 藤原富子 |
| 女御 | 近衛維子 |
| 子女 | 欣子内親王(光格天皇中宮) |
| 皇居 | 平安宮(京都御所) |
| 親署 |
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生涯
宝暦12年(1762年)、父の桃園天皇が亡くなったときにまだ5歳であったことから、摂家の当主による話し合いで英仁ではなく、天皇の姉である後桜町天皇が即位した。英仁の即位が回避された理由については諸説があり、幼帝の即位によって新たな側近衆が形成されて側近衆と摂家の政治的対立に端を発した宝暦事件の再来を警戒したという説[1]、英仁親王への直系継承を支える仙洞(太上天皇)の存在が必要とされたからだという説[2]、英仁親王の養育に生母の一条富子の関与を求めた(当時の慣例では天皇と母后は同居しないことになっており、英仁が即位すると富子が養育に関われなくなる)からだという説[3]が出されている。
明和5年2月19日(1768年4月6日)に立太子。皇太子が天皇の子(皇子)でないのは熙成親王(長慶天皇の弟、のちの後亀山天皇)以来400年ぶりで2025年現在までの最後の例[注釈 1]。天皇の甥が皇太子(皇太甥)になった例は興仁親王(光明天皇の甥、のちの崇光天皇)以来430年ぶり[4]。明和7年11月(西暦1771年1月)、伯母の後桜町天皇の譲位を受けて即位。
在位中の安永2年(1773年)には、朝廷の経理などを行う口向に属する地下官人による大規模な不正が発覚し、江戸幕府による処分が行われた(安永の御所騒動)。
蒲柳の質(病気がち)であったが、在位は10年にわたった[5]。安永8年(1779年)に在位のまま22歳で崩御。なお、急逝による後継の準備のため、実際よりも後の日付で崩御が発表されており、在位日が崩御後も続いている(宮内庁所蔵「後桃園院御凶事前後記」)。
崩御後
系譜
| 後桃園天皇の系譜 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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系図
| 114 中御門天皇 | 閑院宮直仁親王 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 115 桜町天皇 | 典仁親王 (慶光天皇) | 倫子女王 | 鷹司輔平 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 117 後桜町天皇 | 116 桃園天皇 | 美仁親王 | 119 光格天皇 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 118 後桃園天皇 | 120 仁孝天皇 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 桂宮淑子内親王 | 121 孝明天皇 | 和宮親子内親王 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 122 明治天皇 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||