水野紀文
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20歳の時にプロテストで合格し、以後15年間トーナメントで活躍[1]。
1971年の中日クラウンズでは初日に68、2日目には69をマークし、内田繁と共に通算3アンダーで首位の尾崎将司から3打差の3位に着けた[2]。
1972年の同大会では2日目に66をマークし、松井一敏・鈴村久・原孝男と共に首位のテリー・ケンドール(
ニュージーランド)から4打差で続いた[3]。
1978年の関西プロでは2日目には69をマークして宮本康弘と並んでの首位タイ[4]に立ち、3日目には松井・中村通・上野忠美と並んでの9位タイ[5]に着けた。
1979年の日本オープンでは初日に2アンダー70をマークし、アマチュアの金子柱憲、上野・窪田茂・川村正己と並んでの首位タイ[6]でスタート。
1990年の中部オープン[7]を最後にレギュラーツアーから引退し、レッスン活動転身後は16タイプに分類した個別対応スウィング理論が圧倒的支持を受け、プロ野球がシーズンオフの10月から4月までの毎週金曜日にはCBCラジオ「スポーツ探偵団」キャスターを務めた[1]。