中日クラウンズ
From Wikipedia, the free encyclopedia
| 創設 |
1960年 (中部日本招待全日本アマ・プロゴルフ選手権として) |
|---|---|
| 開催地 | 愛知県 |
| 開催コース | 名古屋ゴルフ倶楽部・和合コース |
| 基準打数 | Par70(2024年)[1] |
| ヤーデージ | 6557Yards(2024年)[1] |
| 主催 |
CBCテレビ 中日新聞社 |
| ツアー | 日本ゴルフツアー機構 |
| 競技方法 | ストロークプレー |
| 賞金総額 | 1.1億円(2026年)[2] |
| 開催月 | 5月第1週(2019年) |
| 最少打数 |
260 |
| 通算スコア | -20 同上 |
|
| |
中日クラウンズ(ちゅうにちクラウンズ、英称:The Crowns)は、1960年から日本ゴルフツアー機構(JGTO)公認の男子プロゴルフトーナメントの1つである。
CBCテレビ(2013年までは、2014年3月31日までの認定放送持株会社移行並びに分社化前にあたるため、中部日本放送)・中日新聞社主催で毎年4月末・5月上旬の木曜から日曜にかけての4日間、愛知県愛知郡東郷町にある名古屋ゴルフ倶楽部・和合コースで開催されている[注釈 1]。
1960年の第1回[注釈 2]から現在も続いているトーナメントであり、民間ゴルフトーナメントの草分け的存在でもある[注釈 3]。
本大会優勝者には、チャンピオンブレザーと王冠トロフィー、副賞としてスポンサーのトヨタ自動車よりクラウン[注釈 4][注釈 5][注釈 6]が贈呈され、ホールインワンを達成した選手にはやはりトヨタ自動車より「トヨタホールインワン賞」として人気車が贈呈される(アマチュアの場合は車ではなく記念品)[注釈 7][注釈 8][注釈 9][注釈 10]。
2026年現在、賞金総額1億1000万円、優勝賞金2200万円[2]。また2009年に限り「JGTO中部スプリング・ダッシュ賞」が設けられ、当大会と東建ホームメイトカップの成績をポイント化し、2戦合計の最多得点者に1000万円の賞金が贈られた。なお、1984年から1998年大会までの優勝者には、その年の8月にアメリカ・オハイオ州アクロンの ファイアストーン・カントリークラブで行われる、NECワールド・シリーズ・オブ・ゴルフへの出場権が与えられていた。
かつては海外から一流選手を招聘し、ジャック・ニクラス、ゲーリー・プレーヤー、アーノルド・パーマー、デビッド・トムズ、リー・ジャンセン、ジャスティン・レナード、ジョン・デーリー、コリー・ペイビン、フレッド・カプルスなどが出場した。海外のメジャー大会、マスターズ・トーナメントからあまり日を置かずに開催されたこと、また、歴代優勝者を重んじたこと、加えて難攻不落と言われる和合コースでの開催、さらに一時期ではあるが、円建てのトーナメントとしては国内最高の賞金総額・優勝賞金を誇ったことから、「日本のマスターズ」あるいは「東洋のマスターズ」と呼ばれたこともあった。歴代の優勝者には、いずれも2度制覇したピーター・トムソン(1969、1972年)、グラハム・マーシュ(1977、1981年)、スコット・シンプソン(1984、1988年)に加え、グレグ・ノーマン、セベ・バレステロス、デービス・ラブ3世、ダレン・クラーク、ジャスティン・ローズなどが名を連ねている。とりわけラブ3世は、1998年の第39回で完全優勝を達成し、2位に大会新記録の8ストローク差をつけた。
第9回(1968年)には安田春雄と鈴村久による9ホールにわたるプレーオフ、第17回(1976年)にはデビッド・グラハムの大逆転優勝、青木功(1978-1980年)、尾崎将司(1995-1997年)の3連覇などが知られている。
第48回(2007年)はハワイ在住の日系人、タッド・フジカワが参加するなど開催前から話題を集めたが、グリーンの改修などで以前のような難度の高いコース設定に選手が苦しめられ予選通過ラインは8オーバーまで下がり、4日間通算でもアンダーパーで上がったのは優勝争いを繰り広げた宮瀬博文と谷口徹の2人だけ。この両者が通算2アンダー、278ストロークで並んだため18番ホールにてプレーオフを行い、宮瀬が初優勝を果たした。
第51回(2010年)は、前日まで首位と6打差の18位だった石川遼が、最終日に男子ツアータイ記録となる12バーディーを記録し、通算13アンダーで逆転優勝した。1ラウンド58は男子国内ツアー新記録で世界記録を達成した。
杉原輝雄は第1回大会から51年連続出場を続け、アーノルド・パーマーのマスターズ・トーナメントにおける同一大会連続50年出場を破る世界記録を達成したが[注釈 11]、2011年の第52回大会は体調不良を理由に欠場。連続出場記録は51回でストップした[注釈 12]。
また第52回大会では尾崎将司が64歳3ヵ月で予選を通過し、1976年の第17回大会での中村寅吉の60歳7ヵ月を上回る大会史上最年長予選通過記録を更新した[注釈 13]。
2020年は新型コロナの緊急事態宣言発令により中止[3]。2021年は第61回として扱うが、「新型コロナの感染拡大の状況が不透明な状況である」として無観客試合として行い、また賞金総額も1億円(優勝賞金2000万円)に減額して開催する予定だったが[4]、4月29日の第1日が雨のため中止となったため54ホールに短縮。さらに賞金ランキング加算額も75%に減額された[1]。
備考
本大会が1966年に現在の『中日クラウンズ』という名称となる際には、その当時にトヨタ自動車販売の常務であった加藤誠之(のちに同社社長・会長を経てトヨタ自動車相談役)の長男が電通の社員であり、加藤の長男が本大会を『中日クラウンズ』と改めてトヨタグループにスポンサードを依頼して開催しようと考えて父に伝えたが、その父がこれを渋った。このため加藤の長男はトヨタグループのスポンサードを諦めて本田技研工業にスポンサーを鞍替えして大会名を『中日本田ゴルフ大会』とすることを決めて父に伝えたところ、その父から『賞金800万でスポンサーになる』と伝えられ、トヨタグループがスポンサーになることとなったという逸話が残る[5]。ちなみに1966年『中日クラウンズ』開催がきっかけとなって乗用車『トヨタ・クラウン』が売れることとなったという[5]。
愛知県では10月に「東海クラシック」[注釈 14]が行なわれるが、同一年の「中日クラウンズ」と「東海クラシック」を両方優勝した選手は、未だに一人もいない[注釈 15]。
歴代優勝者
| 回数 | 開催期間 | 優勝者名 | スコア |
|---|---|---|---|
| 第1回 | 1960年6月1日~2日[注釈 16] | -3(277) | |
| 第2回 | 1961年5月8日~9日[注釈 17] | EVEN(280)[注釈 18] | |
| 第3回 | 1962年4月26日~27日[注釈 19] | +3(299) | |
| 第4回 | 1963年4月25日~26日[注釈 20] | +2(290) | |
| 第5回 | 1964年4月23日~24日[注釈 21] | +6(294) | |
| 第6回 | 1965年4月27日~28日[注釈 22] | -5(291) | |
| 第7回 | 1966年4月27日~29日[注釈 23] | -6(274) | |
| 第8回 | 1967年4月26日~29日 | -7(273) | |
| 第9回 | 1968年|4月26日~29日 | -2(278)[注釈 24] | |
| 第10回 | 1969年4月26日~29日 | -6(274)[注釈 25] | |
| 第11回 | 1970年4月26日~29日 | -12(268) | |
| 第12回 | 1971年4月26日~29日 | -6(274) | |
| 第13回 | 1972年4月26日~29日 | -14(266) | |
| 第14回 | 1973年4月26日~29日 | -10 (270) | |
| 第15回 | 1974年4月26日~29日 | -8 (272) | |
| 第16回 | 1975年4月26日~29日 | -8 (272) | |
| 第17回 | 1976年4月29日~5月2日 | -4 (276)[注釈 26] | |
| 第18回 | 1977年4月28日~5月1日 | EVEN (280) | |
| 第19回 | 1978年4月27日~30日 | -10 (270)[注釈 27] | |
| 第20回 | 1979年4月19日~22日 | -1 (279)[注釈 28] | |
| 第21回 | 1980年5月1日~4日 | EVEN (280) | |
| 第22回 | 1981年4月30日~5月3日 | -3 (277) | |
| 第23回 | 1982年4月29日~5月2日 | -8 (272) | |
| 第24回 | 1983年4月28日~5月1日 | EVEN (280)[注釈 29] | |
| 第25回 | 1984年4月26日~29日 | -5 (275)[注釈 30] | |
| 第26回 | 1985年4月25日~28日 | -4 (276) | |
| 第27回 | 1986年5月1日~4日 | -6 (274)[注釈 31] | |
| 第28回 | 1987年4月30日~5月3日 | -12 (268) | |
| 第29回 | 1988年4月28日~5月1日 | -2 (278) | |
| 第30回 | 1989年4月27日~30日 | -8 (272) | |
| 第31回 | 1990年4月19日~22日 | -4 (276)[注釈 32] | |
| 第32回 | 1991年5月2日~5日 | -5 (275) | |
| 第33回 | 1992年4月30日~5月3日 | -10 (270) | |
| 第34回 | 1993年4月29日~5月2日 | -10 (270) | |
| 第35回 | 1994年4月28日~5月1日 | -11 (269)[注釈 33] | |
| 第36回 | 1995年4月27日~30日 | -20 (260) | |
| 第37回 | 1996年4月25日~28日 | -12 (268)[注釈 34] | |
| 第38回 | 1997年5月1日~4日 | -13 (267) | |
| 第39回 | 1998年4月30日~5月3日 | -11 (269)[注釈 35] | |
| 第40回 | 1999年4月29日~5月2日 | -9 (271) | |
| 第41回 | 2000年4月27日~30日 | -8 (272) | |
| 第42回 | 2001年4月26日~29日 | -13 (267) | |
| 第43回 | 2002年5月2日~5日 | -14 (266)[注釈 36] | |
| 第44回 | 2003年5月1日~4日 | -10 (270) | |
| 第45回 | 2004年4月29日~5月2日 | -16 (264) | |
| 第46回 | 2005年4月28日~5月1日 | -11 (269)[注釈 37] | |
| 第47回 | 2006年4月27日~30日 | -18 (262)[注釈 38] | |
| 第48回 | 2007年4月26日~29日 | -2 (278)[注釈 39] | |
| 第49回 | 2008年5月1日~4日 | -9 (271)[注釈 40] | |
| 第50回 | 2009年4月30日~5月3日 | -17 (263) | |
| 第51回 | 2010年4月29日~5月2日 | -13 (267)[注釈 41] | |
| 第52回 | 2011年4月28日~5月1日 | -9 (271)[注釈 42] | |
| 第53回 | 2012年4月26日~29日 | -8 (272) | |
| 第54回 | 2013年5月2日~5日 | -2 (278) | |
| 第55回 | 2014年5月1日~4日 | -11 (269) | |
| 第56回 | 2015年4月30日~5月3日 | -10 (270) | |
| 第57回 | 2016年4月28日~5月1日 | -10 (270)[注釈 43] | |
| 第58回 | 2017年4月27日~30日 | -13 (267) | |
| 第59回 | 2018年4月26日~29日 | -12 (268) | |
| 第60回 | 2019年5月2日~5日 | -9(271) | |
| 第61回 | 2021年4月29日~5月2日[注釈 44] | -12(198) | |
| 第62回 | 2022年4月28日~5月1日 | -16(264) | |
| 第63回 | 2023年4月27日~4月30日 | -15(265) | |
| 第64回 | 2024年5月2日~5月5日 | ー13(267) | |
| 第65回 | 2025年5月1日~5月4日 | ー7(273)
|