水野長勝
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水野成清の子として生まれる。
天文2年(1533年)3月、2歳のとき、父・成清が自害し、母と共に刈谷に逃れる[3]。母が松平家広と再婚し、以後、家広に養育された[3]。
成長後は、織田信長に仕えた[3]。尾張国石ヶ瀬川の戦いで戦功を挙げ、感状を与えられた[3]。信長の死後は北条氏政に仕え、北条氏邦に属した[3]。
後北条氏滅亡後の天正19年(1591年)7月、旗本に取り立てられた[1][3]。武蔵国男衾郡のうち、赤浜・能増2か村800石を賜り、赤浜村に陣屋を置いた[1][2][3]。
慶長7年(1602年)5月、伏見城の城番となり、奏者番を兼ねた[3]。このとき大和国宇智郡・葛下郡・式下郡のうちで2000石の加増を受けた[3]。
慶長9年(1604年)6月22日、従五位下石見守に叙任[3]。