永野勇吉
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学業を終えて、1909年(明治42年)警察界に入る[1]。巡査部長まで進むが、10年間の精勤賞を残して退職後、自ら加工業を経営。その後、1932年(昭和7年)公道授産会創設を発起し、虞犯少年、犯罪少年の収容保護並びに職業補導を開始[1][6]。
翌年1933年(昭和8年)12月、司法少年保護施設岸和田学園に改め、その後80、90~130人を収容し、学業の傍ら農事、木工などの職業補導を行って成績を挙げた[1]。1934年(昭和9年)には早くも優良保護団体として御下賜金拝受の栄光に浴した[1][6]。同年はたまたま風水害を被ったため、御下賜金拝受を記念して園舎の改築を企図し、1937年(昭和12年)9棟40坪余りの現学園の竣工をみた[1][6]。
岸和田学園は他の司法少年保護施設と同じく、浮浪児や不良少年を収容感化するため、近隣地域との間に種々なる摩擦を生じて、困難を招いたがこれを克服し、1947年(昭和22年)財団法人を組織[1]。さらに法の改正と共に児童福祉法に基づく養護施設に転換して、その収容児も孤児を主体に取り扱って、従来の面目を一新し社会福祉法人に改めた[1]。