江口義孝
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東京外国語大学スペイン語科を卒業後、1974年日本放送協会に入局[2]。NHK福岡放送局報道課、報道局外信部に所属。フォークランド紛争、中米紛争、イラン・イラク戦争を取材する。
1984年テヘラン支局長[2]、1985年にリオデジャネイロ支局長、1990年にバルセロナ支局長。
報道局国際部副部長を務めていた1997年のペルー日本大使公邸占拠事件では、事件の発生をいち早くキャッチしてリマの日本大使公邸に架電[3]。公邸を占拠したゲリラ、人質となっていた青木大使双方にスペイン語でインタビューする[3]。当時青木大使は、ゲリラからスペイン語で話すよう強要されていた[3]。
また、個人的なペルー国内の取材ラインを駆使して、ペルー政府の動きを正確に報道し続けた功績によって、日本放送協会会長賞を受賞した[要出典]。
また、事件解決後にフジモリ大統領の協力を得て制作した、NHKスペシャル『突入(ペルー日本大使公邸事件の127日間)』は、文化庁芸術祭ドキュメンタリー部門で優秀賞、モンテカルロ・テレビ祭ドキュメンタリー部門でシルバーニンフ賞を受賞した[4]。
1999年にバンコク支局長、2003年報道局国際部長を歴任[2][5]。
その後、スポーツ放送センター長を経て[6]、放送総局解説委員室解説主幹で退職。NHK情報ネットワーク株式会社へ再就職し、バイリンガルセンター長[7]。同常務取締役を経て、2026年退職。東京外国語大学経営協議会委員を務めた。現在、NHKグローバルメディアサービス専門委員。
2010年1月15日に、国際文化会館で開催された第1回日・アルゼンチン交流シンポジウムの日本側メンバーに選ばれている[8]。またアルゼンチンで行われた第2回シンポジウムのメンバーにも選ばれた[9]。
2022年8月に、スペインの首相暗殺事件を扱った「独裁者を倒せ」を三冬社より出版した。独裁者フランコ総統の後継者カルボ・ソテロ首相を、バスクの左翼過激派ETAのコマンドが狙った事件で、背後でアメリカの情報機関CIAが動いたとの疑惑があった。フランコは信頼していた後継者を失い、事件から二年後の1975年に死亡する。スペインがフアン・カルロス国王の下で民主化するのは、その三年後だった。
脚注
- ↑ “第24回大分県学生寮同窓会総会のご案内”. 大分県学生寮同窓会 (2012年3月). 2013年3月9日閲覧。
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- ↑ “1月15日(金)日本×アルゼンチン シンポジウム開催!”. ジャパンファウンデーション (2010年1月6日). 2013年3月9日閲覧。
- ↑ “三木会の活動記録”. 如水会 (2008年). 2013年3月9日閲覧。
- ↑ “「ふれあい充電講演会」”. NPO自立化支援ネットワーク (2006年). 2013年3月9日閲覧。
- ↑ “「日亜交流シンポジウム」グローバリゼーションと文化的アイデンティティ~日本・アルゼンチン交流から考える~”. 国際交流基金 (2009年). 2013年3月9日閲覧。
- ↑ “第1回日・アルゼンチン交流シンポジウムのご案内”. 外務省 (2009年12月18日). 2013年3月9日閲覧。
- ↑ “第2回日本・アルゼンチン交流シンポジウムのご案内”. 在アルゼンチン日本国大使館 (2011年3月21日). 2013年3月9日閲覧。
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