江夏弘
日本の物理学者
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学術研究
生涯
生い立ち
宮崎県都城町(現:都城市)において、曾祖父の江夏計佐吉、祖父の江夏岩吉、宮崎県酒類販売会社社長[3]であった父の江夏栄蔵と母の(黒岩)フミの長男として[4]生まれる。 旧制の鹿児島県立第一鹿児島中学校(現:鹿児島県立鶴丸高等学校)[5]を四年修了[6]し、旧制の第七高等学校造士館に入学する[7]。
湯川秀樹との出会い
江夏の七高在学中に、湯川秀樹が鹿児島を訪れ中間子論の講演をする。そのときの講演を聴き、湯川や中間子論に興味を抱き、旧制の京都帝国大学理学部に進学する。京大での卒業研究の指導教授はもちろん湯川であり、卒業論文のテーマは中間子論であった。1944年卒業後、旧制の大学院に進学し、湯川の下で研究を開始する[8]。1946年から1957年まで江夏は湯川研究室[9]の助手であった。
湯川のノーベル賞受賞直後に出版された『随想 湯川秀樹』[10]の中で「湯川先生をめぐって」を執筆している。1952年から1953年にかけて、コロンビア大学にフルブライト・プログラムで留学した[11][12]。1953年、京都大学から理学博士の学位を授与される[13]。
ニールス・ボーアとの出会い
1955年から1956年にかけて、デンマークのニールス・ボーア研究所に国費留学生として派遣される[14]。70歳を過ぎたニールス・ボーア自身が学生の面倒を直接見ることはあまりなかったが、週一回ボーアが研究所に来るたびに、江夏はニールス・ボーアに直接質問が許されるという厚遇であった[15][16]。
立命館大学教授
江夏は1957年に立命館大学理工学部教授となり[17]、引き続き湯川の下で指導を受ける。1971年度には理工学部長も務めた[17]。1988年3月に立命館大学を定年退職し、名誉教授となる[17]。1997年、勲三等瑞宝章受章[18]。2019年8月4日、京都市内の病院にて96歳で没した[17]。