沖克己
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香川県立坂出商業学校を卒業後、社会人の朝鮮竜山鉄道局でプレー。1937年に阪急軍に入団するが、その年限りで退団した[1]。
太平洋戦争ではレイテ島の戦いに参加。捕虜収容所で、アメリカ軍の通訳にバッキー・ハリスがいるのに気づいて声をかけると、捕虜の雰囲気が一挙に好転、ハリスも再会を大変喜んだという逸話がある[2][3]。
阪急軍退団後はプロ野球界との関わりを絶っていたが、1955年にパシフィック・リーグの東京審判部に入部し、プロ野球審判として再出発[1]。以降、1988年に引退するまで一筋の道を往く[1]。(1979年~1988年引退まで東京審判部専任指導員)審判としては大杉勝男がカール・ボレスと殴り合いを演じたのに双方を退場にせず記者から「なぜ退場にしなかったんだ!?」と問われると「大杉のパンチが早すぎてわからなかった。」という珍言を残したことで知られる。
日本シリーズ出場経験もあり、1971年の日本シリーズ第3戦(王貞治が山田久志から逆転サヨナラ3ランホームランを放った試合)では球審を務めていた。