沖野眞已
日本の法学者、最高裁判所判事
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来歴
奈良県生まれ。高校時代には憧れと好きな英語を学ぶために1年間のアメリカ留学を体験した[3](AFS交換留学プログラムによるミネソタ州プレインビュー・ハイスクールへの留学[4])。1983年、東京大学文科一類(教養学部)に入学。文科一類を選んだのは「なんとなく、つぶしが効きそう」という動機で、女性が長く働ける仕事は少なかったので、法学部に行って司法試験に受かれば、食べていくのには困らないだろうとの考えだと述べている[3][3][5]。入学当初は外交官試験を受けようかと考えていた。星野英一のゼミで民法の深さに触れて研究の面白さに惹きつけられた。1986年、司法試験に合格[5]。卒業後は司法修習に行くつもりであったが、研究をしたい気持ちを断ち切れず、星野に相談したところ、「あなたは研究者に向いていると思っていました」の言葉を貰い、研究者となった。
2015年2月27日[6]から2023年2月26日[7]まで、厚生労働省の外局である中央労働委員会の公益委員を務めた。
2025年4月1日、東京大学大学院法学政治学研究科長・法学部長に就任。東京大学法学部で初の女性研究科長・法学部長となる[8]。
同年6月6日、第2次石破内閣は、同年7月20日に定年退官となる宇賀克也の後任として、最高裁判所判事に任命することを閣議決定[9]。7月23日付で東京大学大学院教授及び研究科長・法学部長を辞職し、翌7月24日に最高裁判所判事に就任した[10]。沖野の就任により、最高裁判所判事15人(定員数)のうち女性が4人となり、女性の比率は過去最多となった[10][注釈 1]。
2026年2月8日執行の最高裁判所裁判官国民審査において、罷免を可とする票7,435,647票[11](総務省ウェブサイトの速報資料では7,436,291票[12][注釈 2])、有効票のうち罷免を可とする率13.73パーセント(速報値)で信任された[11]。
略歴
- 1976年3月 - 奈良県生駒郡平群町立平群東小学校(現・平群町立平群小学校)卒業[4]。
- 1979年3月 - 奈良県生駒郡平群町立平群中学校卒業[4]。
- 年月不詳[注釈 3] - 大阪教育大学附属高等学校平野校舎卒業[注釈 4]。
- 1986年10月 - 司法試験合格[4]。
- 1987年
- 1990年10月 - 筑波大学社会科学系専任講師[4]。
- 1993年4月 - 学習院大学法学部助教授[4]。
- 1996年5月 - バージニア大学ロー・スクール修了。LL.M.[15]。
- 1999年4月 - 学習院大学法学部教授[4]。
- 2002年4月 - 法務事務官(法務省民事局総務課法務専門職・法務省民事局付)[4]。
- 2004年4月 - 学習院大学専門職大学院法務研究科(法科大学院)教授兼法学部教授[4]。
- 2007年4月 - 一橋大学大学院法学研究科教授[4]。
- 2010年10月 - 東京大学大学院法学政治学研究科教授[4]。
- 2015年2月 - 厚生労働省外局の中央労働委員会公益委員に就任[6]。
- 2023年2月 - 中央労働委員会公益委員を退任(再任後の任期満了)。
- 2025年
著作
共著
論文
- 『契約の解釈に関する一考察――フランス法を手がかりにして』(法学協会雑誌 = Journal of the Jurisprudence Association、1992年8月)
- 『信託財産破産をめぐる諸問題』(ジュリスト1450号、2013年2月)