山口県豊浦郡彦島町(現・下関市)出身。河野仁左衛門の二男、同徳之助の兄[3]。父祖の農業を助け傍ら勉学に余念がなかった[1]。幼い頃より大志を懐いて下関市に来て、米穀取引が有望なことを洞察し、あるいは店員となり小僧となり、あらゆる刻苦勉励すること10年、転んでは起き、起きては転び1905年、独立して仲買店を設け以来堅実に精励信用を博した[1]。
数年ならずして仲買人部長となり、組合委員長となり、1909年には下関商業会議所議員に選ばれ、1910年より下関市会議員に選出される事実に4回、1917年には市参事会員の名誉職に挙げられた[1]。その他公私団体の各重役に任ぜられた[1]。