山口県豊浦郡彦島町(現・下関市)出身。河野仁左衛門の三男[12]、同久蔵の弟[13]。彦島の一介の農家の生まれだが、幼い頃から才気縦横、僻村の一農民として終始すべき器でなかった[4]。
小学校を出ると米穀商の前途があることを察知し16歳にして自ら店員に甘んじて下関市江村商店に入った[4]。番頭、支配人と進級する[1]。
26歳の頃独立して米穀仲買店舗を開いた[4]。1899年、分かれて一家を創立した[9]。1900年、たちまちにして山口県の多額納税者のしかも上位に列した[4]。
1921年4月の改選に推されて市会議員、下関港湾改良市区改正調査委員等に挙げられた[1]。