阿弥陀寺町 (下関市)
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歴史
阿弥陀寺町は江戸頃から使われてきた地名であり、その当時はまだ下関市ではなく、豊浦郡赤間関に属していた[2]。阿弥陀寺町の由来はその名の通り阿弥陀寺という寺の名称にちなむが、現在は赤間神宮となっている。阿弥陀寺町にある本陣伊藤邸はオランダのカピタンや吉田松陰、明治天皇などが宿泊したことがある[2]。安徳天皇を祀る赤間神宮には多くの文化財が残っており、1906年4月24日に平家物語が国重要文化財として指定され[3]、その後も紙本金地着色安徳天皇絵が県指定有形文化財[4]、先帝祭が市指定の無形民俗文化財に指定されている[5]。春帆楼は藤野玄洋が開業した施設であり、日清講和会議の地として知られる[2]。
沿革
- 貞観8年(866年)僧の行教が開山して阿弥陀寺を開き、鎮守社として八幡宮を勧請する[6]。
- 寿永4年(1185年)壇ノ浦の戦いで入水・崩御した安徳天皇を紅石山の麓に葬る[6]。
- 建久2年(1191年)閏12月24日、後鳥羽天皇が御影堂の建立の勅命を下す[6]。
- 永正13年(1516年)大内氏の家臣、粟屋主計頭が極楽寺を建立[7]。
- 寛永18年(1641年)極楽寺の寺号が許可される[7]。
- 文久3年(1863年)奇兵隊が一時極楽寺に駐屯[2]。
- 天保10年(1839年)三宅吉右衛門が寺子屋を開設。弘化4年(1847年)には廃止[2]。
- 明治3年(1870年)神仏分離や廃仏毀釈により御影堂が天皇社に改称される[6]。
- 明治6年(1873年)養治小学が開校。現在は本町にある[2]。
- 明治8年(1875年)天皇社を赤間宮に改称すると同時に官幣中社となる[6]。
- 明治28年(1895年)3月20日から春帆楼で日清講和会議が行われる[2]。
- 明治38年(1905年)今富八郎が今富盲学校を開設。現在古屋町にある山口県立山口南総合支援学校下関分校の元となった[2]。
- 昭和15年(1940年)赤間宮を赤間神宮に改称すると同時に官幣大社に成り上がる[6]。
- 昭和20年(1945年)空襲で町の大半を焼失する。4年後にはおおよそ復興[2]。
地域区分の変遷
経済
地域
史跡
- 本陣伊藤邸址