秦が諸国の反乱で滅ぼされた後、楚の将の一人劉邦は、漢王として漢中に封じられた。そのとき部下の韓信が就いたのが治粟都尉である[1]。韓信はこの職に不服で、逃亡をはかった。引き留められた韓信は、高祖元年(紀元前206年)4月に大将[2]または大将軍[3][4]に任命された。韓信が治粟都尉だったのはほんの数か月で、後任があったかは不明である。
治粟都尉の職務内容について教える史料はないが、軍隊の食糧調達に関わると言われる[5]。似た名の治粟内史は秦と漢初の経済・財政の長官で[6]、同時期に姓不明の襄が任じられていた[7]。