泉堅太郎
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- 駒込高校時代に、ファッション雑誌SunSanのモデルにスカウトされ、芸能界デビュー(因みに駒込高校時代同じクラスに江口洋介も居た)
- 中学では、柔道部部長(初段)高校ではラグビー部(左フランカー)に所属。
- テレビドラマデビューはなかなか!ドジラんぐ(国際放映)初舞台はミュージカル皮ジャンブルース
- 無類のドイツ車好き、これまで乗り継いできたドイツ車はワーゲンビートル1303S、BMW325、メルセデスベンツEクラス、メルセデスベンツCLKクォーツブルー、メルセデスベンツCLK赤。
- 21歳の時、千田是也が主宰する、俳優座ブレヒトの会の手伝いに、かり出され、いつの間にか出演し演劇に目覚める。
- 27歳の時、神田神保町に、劇団員達とミロンガヌォーバという喫茶店を出し、その後、神保町ラドリオ、ホワイトカレーの店など、調子に乗り経営し始める。
- 30代になり、演出を舞台だけではなく、テレビやVPなど、映像の演出を手掛け始める。
- 30代後半になり、船舶免許(2級)を習得し、クルーザーを手に入れる。艇名は泉☆海楽園。
- 40代で、20歳の頃から知り合いだった。新藤栄作と共演し、兄貴と慕っている。後に、紹介でエ・ネスト(芸能プロ)に所属となる。
- 何故か、ここ10年ぐらいの、演劇作品は熊切あさ美が相手役を務めている。本人たちも、飽き飽きしているっぽいが、意地でやっている部分もあるらしい。
- 高知公演で坂本龍馬を演じ、全国の龍馬会と親交を深め、龍馬関係の仕事が増える。しかし、ラジオで聞いた話だが、本人は龍馬より、高杉晋作を崇拝しているらしい。
- yahooニュースである声優を稽古中にビンタをしたとニュースになったが、真相は初めて会った飲み屋で後輩が連れてきた声優の酒癖の悪さで周りに絡んでるのを見て「しっかりしろ」と両手で頬っぺたをパチンと叩いただけであると周りは証言している
- 酒を飲むと新宿ゴールデン街などで、時来組チャンネルという映像作品を毎月撮っているが、出費も多く、登録者数が少ないことを、愚痴っている。
- 1990年、劇団時来組のメンバーに入るが旗揚げ公演の後先輩たちが抜けていき、いつの間にか、代表になる。尚、時来組という劇団名は本人が考えたものではなく、その時にいた先輩たちが決めたもので、別に愛着はなかったらしい。
- 1991年、銀座小劇場フェスティバルで夏2-natsu no zizyou-の作演出、主演で演劇ぶっくにて、注目を浴びる。
- 1992年、パルテノン多摩小劇場フェスティバルに、選ばれ、観客動員が増加していく。
- 1994年、そして、龍馬は殺された、にて主演男優賞に選ばれる。
- 1998年、「ザ・ゴールデンタイム天国と地獄」で初のテレビ演出
- 2000年、劇団時来組から、(有)神田時来組に法人化し、代表取締役になる。
- 2003年・2005年、かつしか区民ミュージカルの演出を担当し、数々の専門学校、芸能スクールの講師を務める。
- 2006年~2013年まで、社団法人日本喜劇人協会の理事を4期務める。現在は脱会。