早稲田大学卒。明治44年(1911年)郡是製糸(株)入社。創業者である波多野鶴吉の養子(旧姓は山内)となる。妻の寿衛は鶴吉の兄の郡是製糸(株)初代社長羽室嘉右衛門の五女。専務を経て昭和13年(1938年)に社長に就任。昭和22年(1947年)4月20日、第1回参議院議員通常選挙において京都府選挙区から出馬し当選、1期務めた。昭和31年(1956年)春の褒章で郡是において蚕種改良養蚕飼育法刷新や繰糸技術の向上などに努め関係団体要職に就いて蚕糸業振興に寄与したとして藍綬褒章受章[1]。昭和33年(1958年)1月まで約20年間経営トップを務め、同社の最長任期の社長となった。昭和32年(1957年)8月綾部市社会福祉事業費及び文化センター建設基金のために10万円寄付により昭和33年4月5日紺綬褒章受章(飾版)、寄付の功績顕著として木杯一組台付を賜った[2]。綾部市名誉市民の第1号。
その他、京都銀行取締役、帝國高壓工業(株)取締役、近江絹絲紡績(現・オーミケンシ)(株)取締役、第二近江絹絲紡績(株)取締役、朝日化學肥料(現・朝日工業)(株)取締役や、日本製糸協会会長、大日本蚕糸会副会頭など社内外問わず20 社にもおよぶ会社や団体の社長・役員を歴任した。