場所は現在の河南省洛陽市新安県城関鎮。洛陽の西面防衛における要地であり、西は長安を望み、南は澗河に臨み、北は邙山(現在の河南省洛陽市孟津区・洛竜区・偃師区)に面していた。その堅牢さは『一夫当関、万夫莫開(一人が関所を守れば、万人をもってしても突破する事が出来ない)』と称され、難攻不落の関所といわれた。
場所は現在の河南省洛陽市伊川県の北部。洛陽城南にある龍門山(龍門西山)と香山(龍門東山)の間の渓谷に位置し、両山の間には伊川が流れている。洛陽南面の重要な要害であり、洛陽と荊州方面を往来する際に必ず通過する場所であった。
場所は現在の河南省平頂山市汝州市臨汝鎮の南部。後漢の光武帝により設置された広成苑のすぐ南にある事からその名がついた。東北に迎風山・長蛇山・娘娘山・和尚山・白雲山・盤龍山があり、西南に大馬山・大虎嶺がある。伊闕関同様、荊州方面へ往来する際の要塞であった。
場所は現在の河南省洛陽市伊川県白沙鎮。嵩山と龍門山の山間に位置しており、南面防衛における要衝の一つ。
場所は現在の河南省洛陽市偃師区と鄭州市登封市・鞏義市の境界。太室山(嵩山の一峰)と少室山(嵩山の一峰)の山間部に位置し、斜面の終端に設置されていた。許昌・陳郡(南西部)の方面における要衝である。
場所は現在の河南省鄭州市滎陽市汜水鎮の西南部。洛陽東面防衛の第一関であった。
場所は河南省洛陽市孟津区の南部。黄河の河心に位置し、渡し場としても重要な役割を担っていた。洛陽北面における要津である。
場所は河南省洛陽市孟津区の西北部。同じく黄河の河心に位置し、渡し場の一つでもあった。その重要度は富平津(孟津の別称)に次ぐものであり、故に小平津と名付けられた。