津島道子
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1917年(大正6年)1月11日、岡山県岡山市に生まれる[2][3][4][5][6]。
大阪府立市岡高等女学校(現在の大阪府立港高等学校)を卒業後、女優を志し、1935年(昭和10年)9月に組織された大阪協同劇団の研究生となる[2][3]。芸名を「草加 マキ」と名乗り、翌1936年(昭和11年)6月に北陽演舞場で初舞台を踏む[3][7]。同劇団には、他に海老江寛、瀬良明、谷晃、木下ゆず子らが所属していた[3][7]。1940年(昭和15年)、大阪協同劇団は強制的に解散を余儀なくされ、津島は1942年(昭和17年)にNHK大阪放送劇団に加入する[2][3]。以降、本名「津島 道子」を名乗り、もっぱらラジオドラマに出演していたが、第二次世界大戦末期にあたる1944年(昭和19年)に一時退団した[2][3]。
第二次世界大戦終結後は、女優・中村メイコの実母にあたる中村チエコが主宰していた劇団メイ・フラワー、劇団文化座を経て、1952年(昭和27年)には再びNHK大阪放送劇団に復帰する[2][3][8]。その後、退団して劇団アカデミー[4]、竹本事務所[5]、創芸プロ[6]など芸能事務所を転々とし、1989年(平成元年)10月7日に公開されたリドリー・スコット監督映画『ブラック・レイン』や、日本放送協会(NHK)の連続テレビ小説『うず潮』(1964年 - 1965年)、『純ちゃんの応援歌』(1988年 - 1989年)、『オードリー』(2000年 - 2001年)など、平成にかけて映画やテレビドラマにも積極的に脇役・端役出演し、特に母親役・老け役を多く演じた[1][2][3][8]。
2008年(平成20年)9月29日から放映が開始された、NHKの連続テレビ小説『だんだん』以降の出演作品はない。