津川辰房

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津川 辰房(つがわ たつふさ、寛永11年(1634年) - 元禄11年1月5日1698年2月15日[1])は、江戸時代初期の熊本藩主家細川氏家臣。は辰房。通称は数馬、次郎左衛門。石高550石。子に津川辰之(たつゆき)、津川辰則(たつのり)[2]

寛永21年(1644年)10月改めの「真源院様御代 御侍名附」の組外衆に「五百五拾石 津川次郎左衛門」とある。ちなみに席次は家臣団38番目で尾池伝右衛門の4つ下に位置し、西山八郎兵衛と松野采女の間に位置する。また、慶安元年(1648年)の侍免撫帳(熊本県立図書館所蔵)より石高550石中、148石は山本に、401石5斗は玉名にあったことが分かる。

永青文庫所蔵の寛文4年(1664年)の細川綱利代の侍帳(永青文庫所蔵)より3番組[3]の有吉内膳組に所属し、組内では三十挺や添頭、番頭より上の扱いであった。

元禄2年(1689年)に致仕、剃髪して「流随」と号した[1]

系譜・子孫

脚注

参考文献

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