兄・斯波大蔵(法性院殿)は早世したため、早くから義銀(義近)の嫡男となっていたものと思われる。
近利自身については不明な点も多い。また、伏見藩の松平定勝に仕えていた(「島本文書」)とされ、その子である近良が松山藩士として子孫を伝えている[4]。
弟の辰珍やその養子となった子の近光らは肥後熊本藩主の細川家に仕えており、彼らの安否を気遣って書状のやり取りをしている様子が史料等からうかがえる[5]。
1642年、61歳で死去。万治元年(1658年)当時、姉の孫である慈澤蔵主が住職を勤める妙心寺大嶺院に父とともに位牌があったという。嗣子のなかった弟・辰珍の跡を、近光の子(近利の孫)である辰房が継ぎ、以降熊本藩士として続いた。