津波恒徳 From Wikipedia, the free encyclopedia 津波 恒徳(つは こうとく、1927年10月6日[1] - 2026年2月20日)は、沖縄県出身の沖縄民謡歌手、三線奏者で、「ちぶみ」、「二人が仲」などの作曲作品でも知られる[2]。 1927年、読谷村長浜に生まれる[3][4]。父は野村流古典音楽の師範、叔父は玉城流舞踊の師範であり、物心つくころから三線が弾けたという[4]。戦時下、15歳のときに集団就職により大阪へ赴き、紡績工場で働くが、きつい仕事に耐えられず、親戚を頼って大阪や長崎を転々とした[4]。 民謡歌手 第二次世界大戦の終戦時に18歳であった津波は、民謡を志し、1948年に沖縄へ戻った[4]。津波は、故郷の読谷村で理容所を営みながら、知名定繁に師事し、古典音楽や昔歌の発掘に取り組んだ[3]。 やがてラジオやテレビの番組などに出演するようになり[4]、のど自慢荒らしや[5]、登川誠仁、喜納昌永との民謡ショーなどの活動で名を上げた[6]。また、1959年には、石原節子とのデュエット曲「ひじ小節」でレコードデビューした[2]。 その後は、後進の指導にも取り組み、金城実や古謝美佐子[3]、松田永忠[2] 、松田弘一らを育て[5]、また、自らの流派として恒弦会を開き[4]、琉球民謡保存会会長なども務めた[3]。なお、松田永忠は恒徳の従弟にあたる。 1999年からは、息子である津波恒英や、嘉手苅林次とともに、「ゴーヤー・トーンズ」としての活動も行った[5]。 2026年2月20日、老衰のためうるま市の老人ホームで死去した。98歳没[7]。 ディスコグラフィ 与論ラッパ節(1998年) シンガポール小(2000年) 出典・脚注 ↑ 高志保たかし (2026年2月23日). “[19 思い出の東門ガジュマル(追悼・津波恒徳先生)|高志保たかし]”. 2026年2月24日閲覧。 1 2 3 小浜司 (2007年5月22日). “美ら弾ち”. 琉球新報 (琉球新報). http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-23973-storytopic-64.html 2014年3月13日閲覧。 - 琉球新報サイトにて閲覧 1 2 3 4 “津波恒徳(つは・こうとく)[沖縄]”. 三線学校結い. 2014年3月13日閲覧。 1 2 3 4 5 6 “津波恒徳”. 真南風. 2014年3月13日閲覧。 1 2 3 “津波恒徳”. Beats21/Rimshot Co., Ltd.. 2014年3月13日閲覧。 ↑ “唄者貫いた人生 登川誠仁さん死去”. 琉球新報 (琉球新報). (2013年3月22日). http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-204304-storytopic-6.html 2014年3月13日閲覧。 - 琉球新報サイトにて閲覧 ↑ “<訃報>津波恒徳さん死去 戦後の沖縄民謡界けん引 98歳”. 琉球新報デジタル (2026年2月22日). 2026年2月23日閲覧。 典拠管理データベース: 芸術家 MusicBrainz Related Articles