津田信益

From Wikipedia, the free encyclopedia

生誕 生年不詳
別名 信盛、信政、通称:源十郎、左衛門佐(尉)、源二郎、弁左衛門
 
津田 信益
時代 安土桃山時代江戸時代前期
生誕 生年不詳
死没 寛永10年6月2日1633年7月7日
別名 信盛、信政、通称:源十郎、左衛門佐(尉)、源二郎、弁左衛門
幕府 江戸幕府旗本
主君 織田信長豊臣秀吉
越前北ノ庄藩(福井藩)藩士
氏族 織田氏津田氏
父母 織田信清:不詳
兄弟 信益、娘(藤堂高刑室、高虎養女)
信総信正信勝、長寿院(結城秀康側室)、貞松院(徳川義直側室)、女(井口左門室)
特記
事項
織田信長従甥
テンプレートを表示

津田 信益(つだ のぶます)は、江戸時代初期の旗本越前北ノ庄藩(福井藩)士。尾張犬山城主であった織田信清の子。織田信長従甥

信清は生涯を通して信長に反抗したが、その息子である信益は信長に罪を許され、天正9年(1581年)、連枝衆として馬揃に加わる。天正10年(1582年)、本能寺の変直前の信長上洛の際、蒲生賢秀らと共に安土城本丸の留守衆に名を連ねている(『信長公記』)。のち豊臣秀吉に仕え、茶道の縁で片桐且元の下にいたことがあるともされる。晩年は越前北ノ庄藩(福井藩)に仕えた。後述する娘らと共に、徳川将軍家との連絡役も行っていたようである。

子孫

出自

脚註

Related Articles

Wikiwand AI