津田川 (大阪府)

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水系 二級水系 津田川
延長 15.5 km
流域面積 26.3 km2
津田川
水系 二級水系 津田川
種別 二級河川
延長 15.5 km
流域面積 26.3 km2
水源 和泉葛城山大阪府岸和田市
水源の標高 858 m
河口・合流先 大阪湾貝塚市
流路 大阪府
流域 日本の旗 日本 大阪府岸和田市・貝塚市

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津田川(つだがわ)は、大阪府岸和田市および同府貝塚市を流れる河川、同府が管理する二級河川である[1][2]。主な支流である小渕川(おぶちがわ)についても本項に記す。

小渕川

同川に注ぐ意賀美神社の「雨降りの滝」(大阪みどりの百選岸和田市土生滝町)。

大阪府岸和田市塔原町にある、和歌山県との県境・同県紀の川市との市境に位置する和泉葛城山(858メートル)に源を発し、市内山間部を北へ流下、途中で貝塚市内に入り、大阪湾に注ぐ[1][2]。流域面積は26.3平方キロメートル、流路延長は約15.5キロメートルであり、そのうち二級河川指定区間は10.0キロメートルである[1][2]。岸和田市内にある中流域を阿間河谷(あまかだに)と古くから呼ぶ[3]

以下、流域の町丁大字を上流から列挙する。

  • 岸和田市
    • 塔原町
    • 相川町
    • 河合町
    • 阿間河滝町
    • 土生滝町
    • 天神山町
    • 流木町
    • 極楽寺町
    • 畑町
  • 貝塚市
    • 久保
    • 半田
    • 小瀬
    • 津田南町・津田北町

大阪府貝塚市三ヶ山に源を発し北へ流下、途中で岸和田市内に入り、大阪府道30号大阪和泉泉南線を過ぎて、貝塚市半田の西日本旅客鉄道阪和線手前で津田川に合流する[2]

  • 貝塚市三ヶ山
  • 貝塚市東山
  • 岸和田市八田町
  • 岸和田市流木町
  • 岸和田市極楽寺町
  • 岸和田市畑町
  • 貝塚市半田

環境

治水事業

1965年(昭和40年)5月、1966年(昭和41年)9月、1967年(昭和42年)7月と3年連続で同川が氾濫したため、これを契機に1969年(昭和44年)度に局部改良 事業が行われた[2]。高潮対策は1979年(昭和54年)度から行われている[2]

歴史

弥生時代から同川流域に人が住み始め、土生遺跡等での生活の痕跡が発見されている[4]

流域の岸和田市八田町にある矢代寸神社は503年、継体天皇の時代に鎮座したとされ、和泉国南郡八田村、土生滝村、阿間河滝村の地域(のちの有真香村、現在の岸和田市の同川流域)を守ったとされる。同川に注ぐ滝が意賀美神社にあり、この「雨降りの滝」(大阪みどりの百選)の信仰は、少なくとも同神社が創建された8世紀以前には起こっている[5]

1640年(寛永17年)に岸和田藩主となった岡部宣勝は、岸和田城の城郭を整備するとともに、同川の右岸に「上田岸」と呼ばれる長土手(堤防)を構築、松を植えた[6][7]。「上田岸」は現存しないが、同市南上町および南町に伝承地名として継承されている[7]

1912年(明治45年)には河口左岸の泉南郡麻生郷村大字津田(現在の同府貝塚市津田南町28番)で寺田財閥寺田利吉(1857年 - 1918年)が紡績業を開始、これが赤煉瓦造りの工場として知られ、いまも残るテラボウである[8]。同川を隔てた北側、岸見橋(紀州街道)至近には、同時期に岸見館(のちの岸見東映、1962年閉館)が開館している[9][10][11]

1934年(昭和9年)9月21日の室戸台風の際に、同川沿いおよび海岸沿いの泉南郡貝塚町大字津田(現在の貝塚市津田南町および津田北町)に朝鮮人労働者たちが建てて生活していたバラック住宅が、すべて流されている[12]。このとき貝塚市が岸和田警察署と協力し、8,000円(当時)の資金を投入し、託児所公共浴場を含む住宅のべ340坪を同地に整備した[12]。岸和田市でも、川沿いの寺田紡績(テラボウ)や篤志家の寄付によって、同川の氾濫原にあたる南上町に朝鮮人住宅を整備した[12]。いずれも現在では一般の住宅街である。

第二次世界大戦後は、河口付近を中心に市街地化が進行し、川沿いには、貝塚市立津田小学校(貝塚市津田南町、1943年創立)、府営貝塚堀住宅(同市堀)、府営貝塚久保住宅(同市久保)、岸和田市立太田小学校(岸和田市畑町、1983年創立)、岸和田市墓苑(同市流木町)、岸和田市立天神山小学校(同市天神山町、1979年創立)、府営岸和田天神山住宅(同)等が建設された。

交通

脚注

参考文献

関連項目

外部リンク

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