洲原神社
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歴史
社伝によれば養老5年(721年)、泰澄により建立。以降明治時代に至るまで大家家、宮脇家および執行家の三神主家が神社を率いた。伝承によれば洲原白山成立以前に当地に所在した牛頭天王社の神主、宮元家が洲原社成立に伴い宮脇家に名を改めたとされる。大家家は泰澄禅師の弟の三神泰定を祖とする。また、執行家は元正天皇の病気平癒の祈願に派遣された伴安麿を祖とすると伝わる。
康正2年(1456年)、火災に遭って宝蔵が焼け落ち古記録も失った。天正17年から翌年にかけての太閤検地前には700貫に及ぶ所領を有していたが、検地後には大半を失い27石あまりとなった。その他には上河和村、下河和村、新部村、曽代村ならびに洲原村に神山を有していた。
戦国時代には観音院という別当寺が存在しており、天正17年(1589年)には実融、正保4年(1647年)は空政、寛文9年(1669年)には範遍が住職であったと伝わるが、延享2年(1745年)には無住となり廃絶した。享和元年(1801年)に元正帝との由縁から正一位の神階を宣下された。明治6年に郷社、明治12年には県社に列する。
祭神
文化財
所在地
- 岐阜県美濃市須原468-1-1