浅井タケ
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父・山田チクユピ(アイヌ名:Sahpo)、母・テツ子(アイヌ名:Tekakunkemah)との間に、当時ロシア領であった樺太西海岸のアイヌコタンであるオタスフ(Otasuh/小田洲。終戦時は恵須取郡珍内町)で生まれるが、生後まもなく失明する[1]。父親は1902年病死し、母親はタケが18歳のときに亡くなった[1]。
その後、叔母に引き取られ、村の子供たちの子守をしながら暮らしていた[3]。40歳の時に樺太真岡郡真岡町出身のアイヌ・浅井政治と結婚し、太平洋戦争後は北海道沙流郡平取町振内に移住した[1][3]。1961年に夫と死別し、1974年に門別町立特別養護老人ホーム「得陽園」で暮らし始める[1]。
1983年頃、言語学者の村崎恭子と面会した際に、堪能な樺太アイヌ語を話し、村崎との交流が始まった[3]。1993年5月札幌の東札幌病院に入院し、1994年4月30日、同病院にて92歳で死去した[1]。
著作物
- 浅井タケ(著)、村崎恭子(編訳)『樺太アイヌの昔話 浅井タケ口述』2001年4月 草風館 ISBN 978-4883231188 CD版、54話10枚組(2001年)