浅尾政行
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経歴
1968年、都立蔵前工科高等学校機械科を卒業後[1][2]、浪人2年を経て、多摩芸術学園映画科に入学し[1][2]、1973年卒業[1]。東映教育映画部に契約者として入社し、2年在籍[1]。フリーの助監督となり、長谷川和彦監督の『青春の殺人者』や、堀川弘通監督『翼は心につけて』、柳町光男監督『十九歳の地図』などに就く[1]。自身のシナリオ『とりたての輝き』が1980年の第6回「城戸賞」に佳作入賞し、1981年自ら同作で監督としてデビューした[1]。
浅尾は映画監督を志したきっかけについて「蔵前というのは酷い管理学校で企業直結なわけだ。当時は工業高校出身の学生は金のタマゴだったから、就職率は100%。入って失敗したと思って、2年生の半ばから登校拒否よ。浪人しているときににちょうど学園紛争Wがあってね。その頃に映画やろうと思ったんだ。映画のイロハは多摩芸術学園で勉強したんだけど、卒業しても就職先がなくてね。東映の教育映画部なら、フリーの見習いで入れると言われて、2年位いたかな。柳町光男がセカンドの助監督で、オレがサードでいろいろ撮ったよ。『嫁と姑の関係』とか『子供の𠮟り方』『正しい出産のしかた』とかね(笑)」などと述べている[2]。